関東方面に行く機会があったので、青梅にあるマイコン博物館に行ってきました。
今回の記事は天文とは全然関係ありません。過去の別の趣味の話、と言っても少年時代の趣味になります。このブログでも何回か書いているかと思いますが、子供の頃の私はマイコン少年でした。きっかっけは小1の頃から愛読していた「コロコロコミック」の姉妹誌で、小3の頃に創刊になった「別冊コロコロコミック」に載っていたマイコン特集です。当時「ゲームセンターあらし」という連載をしていたすがやみつる先生がマイコン好きで、特集を組んでいたのかと思います。別コロには同じすがやみつる先生の「マイコン電児ラン」というマンガも連載されていました。確か小4の10月か11月くらいだったと思いますが、特集記事に小さなBASICのプログラムが載っていて、それを近所にあったジャスコの電気屋さんで、わけもわからず打ち込んだのが最初だったと記憶しています。何度かのエラーのあと、うまく動いたのですが、命令してその通りに動くということに感動したことと、逆に命令通りにしか動かないということを実感しました。初めて触ったマイコンなので機種は覚えていませんが、形から言ったらSHARPのMZ系だったのではないかと思います。
当時は電気屋さんがかなり解放されていて、何台もあるマイコンを自由に触ることができました。売り込みの意味もあったのかと思いますが、データレコーダーも置いてあり、そこで自分で打ったプログラムをカセットテープに保存して、そこに集まったマイコン仲間と交換とかもできました。私がよく通っていたのは当時の名古屋にあったカトー無線と栄電社です。性格上昔からそうだったのですが、この時もやっぱり夢中になりすぎました。一番酷かったのは小5の夏休みでした。午前が水泳部で、泳いだ後に疲れているはずなのにそんなことは全く気にせず、夏休みのほぼ毎日電気屋さんに通うという偉業を成し遂げました。これを見かねた親が、さすがにそこまで好きなら仕方ないと言って買ってくれたのが、当時まだ出たばかりのPC-6001 mkIIでした。専用モニターとデータレコーダーのフルセットでした。その後のコンピューター遍歴は中1で中古のFM-NEW7、中3で親が買ったはずのPC-9801VM21を結局占有したところくらいまででしょうか。高校時代はコンピュータから少し離れて、その後大学に入るときにDOS/V機を手に入れてからまたハマるのですが、ここら辺の話はまたいつかできればと思います。とにかく、今回のマイコン博物館の訪問はその子供の頃の記憶を辿るような経験で、最初に買ったPC-6001 mkIIが中心の記事になります。
マイコン博物館を見学するためには、あらかじめ予約が必要になります。このページの下の方に記入して申し込みます。
しばらくすると、予約が完了したとのメールが来るので、それで予約確定ということになります。予約完了メールの内容はとても親切で、電車もしくは車での行き方が詳しく書かれているので、迷うことはないでしょう。入館料は1000円、「動体展示」と言って今でも動く機種に触る場合は3000円とのことです。
事前の用事が長引いてしまい、青梅駅に降り立ったのはもう午後4時に差し掛かる頃でした。青梅は学生の頃に旅行で駅に降りた覚えがあるので、もう30年ぶりくらいです。改札は一つしかないので、出口に迷うことはありません。その旨も予約完了メールに書いてあります。改札を出て、右手に見えるセブンイレブンの脇の道を進みます。
道なりに100mほど進むと左手にコインパーキングが見えてきます。車で来た際はここを利用するといいとのことです。
コインパーキングの中に入っていき、そのまま通り抜けた先のビルにマイコン博物館があります。
ここはビルの裏口にあたり、写真にも写っている通用口から入りますが、鍵がかかっている場合は「マイコン博物館」と書いてあるベルを鳴らすと、まもなくスタッフの方が出迎えてくれます。
到着が予約時間より少し遅くなってしまって申しわけなかった旨をお伝えして、中に案内されました。このビルの1階から3階がマイコン博物館と併設する「夢の図書館」なのですが、現在はマイコン博物館のみオープンしていて、夢の図書館はリニューアル中とのことです。マイコン博物館は2Fになります。荷物はロッカーに入れるといいのですが、ロッカーが早速凝っていて、それぞれにCPUの名前がテプラでつけれらています。
私は最初それに気づかずに適当な「TLCS-12A」とうところに入れてしまいましたが、後から聞いたら東芝が開発したCPUだそうです。混んでいるときにはどこに入れるかで取り合いになるとか。
博物館の中の機器は年代順に並べられているそうです。
もともとこの博物館は銀行だった場所に作ったとのことで、当時の金庫部屋がのこっています。最初に案内されたのはその金庫部屋で、マイコンになる前の時代の機器が集められた小部屋でした。初期の計算機につながったのは、タイプライターを開発していた会社だそうです。
写真の棚の中段に見えるのが、ルパン三世が使っている銃で有名な、ワルサー社の回転式計算機で、タイプライターも作っているとのことです。ワルサーP38のモデルガンも置いてあります。上段に見えるのがコルト社のタイプライターです。コルト社もピストルを作っていて、戦後日本の警察でも採用されていて、インターポールの銭形警部がこの銃を持っているのはおかしくないとのことです。いずれもアメリカの会社で、タイプライターと銃が結びつくのが少し不思議ですが、初期の計算機は軍事と密接に関連しているので、繋がりが深いのかもしれません。
マイコン前の計算機の時代では、下の写真のようにキーボードにsinやcosなどの関数などを割り当てていたようで、こういったものを見ると、タイプライターと初期計算機との関係がすこしわかるかもしれません。
そもそも、コンピュータのことを今でも時々計算機と言いますが、昔のホビーマイコンを見ていてもそうですし、そのさらに前の時代では本当に計算機という言葉が似合います。例えば、博物館の中に弾道軌道の計算表が分厚い本になって置いてあったのですが、これらの計算を担うと考えたら、やはり計算機という意味合いなんですよね。ホビー方面にも進化したのは、計算だけにとどまらない応用ができるくらいに進化したということなのでしょう。
この部屋は小さいですが、ブログでは紹介しきれないくらい面白いものがたくさんあります。この時代のことを知っている人はもうかなり少ないと思うので、是非とも実物を見て、できるなら解説付きで案内してもらえるといいのかと思います。私が行った時は見学者は私一人だったので、親切に解説していただきました。
メインの大部屋に移ります。この部屋では列ごとに年代順になっているとのことで、最初の列は1970年台です。私はまだ生まれていないか、小学生の低学年くらいまでで、ほとんどのものは実機を見たこともなければ、型番を聞いてもあまりわからないものが多いです。その中でも、最初に展示してあるものはここに来る人なら誰でも知っているはずの、Apple Iです。と言ってもここにあるのは復刻版だそうで、そのためきちんと可動する!とのことです。ちなみに今調べてみたら、オリジナルのApple Iの可動品は世界で10台程とのことで、eBayで150万ドル(今のレートだと2億円以上)で出品されたこともあるそうで、さすがにオリジナルを手に入れるのは難しいですね。
他にもALTAIR社の8080など、フロントパネルでスイッチをパチパチするタイプのものがありましたが、実は私はこのタイプをどうやって使っていたか知らなくて、その場でビットごとにスイッチを入れて記憶していくと説明を受けました。
1970年台後半には、Apple IIも置いてあります。この時代のもう一つの目玉はTK-80関連でしょうか。これも私は直接は触ったことがないですが、ホビーマイコン直前の大ヒット商品として有名ですね。ここではTK-85がフルセットで置いてありましたが、実は私は85の方はほとんど知りません。80のバージョンアップ製品のようです。
1970年台の一番最後にはPC-8001が申し訳程度に置いてありました。発売が1979年なので確かにこの列にあるのは正しいのですが、あまりに雑な扱いです。
と思って、次の1980年台の列に行ったら、純正フロッピードライブとデータレコーダーと共に、もっとしっかりしたセットが数台置いてありあました。確かに、PC-8001がメインで活躍したのは1980年に入ってからですよね。
ここからは私にとって馴染み深いマイコンがたくさん出てきます。まずはFM-7です。列に並んでいたわけではないですが、途中のベットテーブルの上に置いてあり、目についたので写真を撮っています。
私は中1の結構最初の方に2台目のマイコンとして、中古のFM-NEW7を買っています。まだ土曜日が学校も休みになっていない時代のある土曜日のことだったと思いますが、中1の当時まだ大学を卒業したばかりの新任の若い女の担任の先生に「今日新しいコンピュータを買いに行くんだ」と言って、嬉しそうにはしゃいでいる場面をはっきり覚えています。FM-NEW7はFM-7の廉価版で、機能はほぼFM-7と同等です。今調べたら発売開始が1984年5月とあるので、1年ちょっと経った中古を購入したことになります。当時は雑誌が唯一の情報源で、広告欄を食い入るように見て、お年玉とかを貯めた貴重なお小遣いなので少しでも安いところを探し、結局コムロードというお店で買ったと記憶しています。対抗馬としてPC8801がかなり魅力的でしたが、価格的には全然自分で買えるようなものではなく、200ラインでしたが、6809の魅力もありFM系に決めました。それまで使っていたZ80系とは違いますが処理的にも早く、たとえPC8801は買えなくても、PC8001にするよりはFM7系だろうと当時考えていました。スタッフの方によると、FM-NEW7もこのマイコン博物館のどこかにあるはずだとのことでしたが、残念ながらメインの展示の中には見つかりませんでした。
年代的に少し前後しますが、FM-8もありました。8とついているので7の後に出たかと思われがちですが、発売は1981年5月と、FM-7の1982年11月よりも1年半ほど早いです。私はFM-8自身にはさわったことがなかったですが、FM-8の優れた設計はFM-7に引き継がれ、テンキーの真ん中を押さないとキャラの移動が止まらないという欠点も含めて、富士通の当時の思想に共感したものです。
もう一つ私の今の人生に大きく関わった機種を紹介しておきます。東芝のパソピアです。7の方ではなく、ただのパソピアです。というのも、まだ自分でコンピュータを手に入れる前、多分小4の冬くらいから小5の初めくらいだと思うのですが、自転車で15分くらいの親戚の家に入り浸っていました。母の姉の旦那に当たるのですが、親戚の中でも数少ない理系のおじさんで、当時のナショナルに勤めていていて、それでいてなぜか東芝のパソピアを自宅に持っていました。パソピアは後のパソピア7のようなホビーパソコンというよりはもう少し仕事向けでした。それでもジョイスティックを買ってあったりして、子供だった私やいとこにパックマンのようなゲームやオセロなどをさせてくれた覚えがあります。いとこは女の子二人の姉妹だったので、当然コンピュータに興味なんか持つわけもなく、その分興味を持った私がかわいかったのでしょうか、使っていない時はいつでも使っていいよということで、暇さえあればそれこそ平日でも押しかけていました。最初のBASICの基礎はここで学んだはずです。returnの綴りを口で呟きながら自転車で自宅まで帰ったことをいまだに覚えています。この時の時間を忘れてコンピューターに触れる経験はとてもありがたくて、叔父にはいまだに感謝しています。マイコン博物館に展示されていたものは当時のままの特徴のある赤と緑のキーボードで、とても懐かしかったです。そういえば、当時ROMカートリッジもたくさんあったので、かなりお金をかけていたと思われます。
1980年台と言っても、よく知っている機種はもちろんたくさんあるのですが、あまり知らない機種も結構ありました。多少なりとも知っているものはPC6001、PC-8001、PC-8801、初代PC9801、FM-7と8、パソピア、松下のJR-100、シャープのMZ-80系、1200、2000(多少触ったことあり)、日立のベーシックマスターレベル3、Jr.(名前だけで触ったことなし)、三菱のMULTI16 (ホントに名前だけ)などです。そうそうIBM PCも置いてありました。オリジナルを見るのは初めてだと思います。
あまり知らないものとしては、撮った写真に型番が写っているものだけでも、Commodore 8096-SK、Apple III(Apple IIまでしか記憶になかったです)、KYOCERAのM203 mark III (検索しても出てきませんでした)、BUBCOM80(富士通で製作され、FM-8にちょっと似ているZ80を使ったバブルメモリが使える機種らしいです)、Osbone Executive、Bondwell Portable Computer Model 12などです。多分ホビーの範疇ではないので、小中学生だった私にはほとんど知らない世界でした。
1980年台を繋ぐ間のところには、Commodore 64、CASIOのFP-1100やここで展示用のFM-7があり、さらにはシャープの初代X1もあります。最上段はぴゅう太ですね。友達がもっていて、カタカナベーシックは当時も多分今でもインパクト大だと思います。
1980年台の2列目になるともっと馴染みが深くなります。目玉はLisaでしょうか。Lisaを知らない方もいるかもしれませんが、これは今のMacの大元のようなもので、1983年当初でGUI操作を実現していました。このマイコン博物館で改めて知ったことは、キーボードがきちんと日本仕様になっていたこと、下の段にはLisaの裏蓋が開けられているものがあり、中身まで覗けることです。
他にもMZ−700、SONYのSMC-70、Apple IIe、NECのハンドヘルドコンピュータPC-8201、同じNECでPC-8001mkII、PC-6001mkII、NECブランドの京セラの名器PC-100、パソピア7、IBM系列ではXTとAT、さらには互換機のCompaqの初代機Portableも置いてありました。富士通はFM-11、SHARPはX1 turboまで進んでいて、MZでは全く記憶のない6500とかもありました。PC-9801はMまで進んでいます。
さて、この日のメインのPC-6001mkIIです。これは初めて手に入れたコンピューターで、小学生ながらにかなりしゃぶり尽くしました。最初の頃はゲームをしたりプログラムを打ち込んだりでしたが、小6の時に「PC-Techknow テクニカル ノウハウ集」という専門誌に近いような本を買ってから状況が大きく変わりました。当時の値段は覚えていませんが今調べたら2500円でした。小学生が普通に買える値段の本ではなく、多分当時の栄電社に置いてあったと思うのですが、中身を見てどうしても欲しくなり、おじいちゃんにねだった覚えがあります。中身は技術的な情報が満載で、例えば打ち込んだBASICは中間言語という形に置き換えられて保存されているとか、listコマンドで見えないリストはなぜなのかとか、当時の私の拙い知識で理解できる範囲だけでも、後の理系人生を決定するほどの大きな勉強となりました。最近PC-TechknowのPC8801版は手に入れたのですが、PC6001版はいまでも手に入れられていません。
そんな話をスタッフの方と話していたら、なんとPC-6001mkIIの電源を入れてくれることに。モニターケーブルも探してきてくれて、モニターとの接続がRFではなくてデジタル信号だったことも思い出しました。デジタルだと、PC6001時代のRF出力の色ズレを利用してカラフルになるゲームが、mkIIだとうまく色がつかないんですよね。
ドキドキしながらPC-6001mkIIの電源を入れると、見事に立ち上がりました。文字に少し赤のズレがありましたが、記憶では真っ白だったはずなので、流石に経年劣化でしょう。垂直水平動機があったのを思い出しましたが、調整では直らなかったです。
せっかくなので5つ目のN60m BASICを立ち上げます。ご存知の方も多いかと思いますが、このmkIIは「しゃべり」ます。talkコマンドを思い出しつつ試しますが、どうも声が出ません。裏のつまみで音量が調節できたはずなので回してみたり、playコマンドも試したのですが音が鳴らないので、どうやらスピーカーが壊れているみたいです。耳を近づけて注意深く聞いてもノイズ音も何もしなかったので、スピーカーに電流が入っていないような感じでした。簡単なBASICは動かせましたが、昔みたいにサクサクはいかないです。考えたら最後に触ってからもう30年近く経っています。私のPC-6001mkIIはキーボードが接触不良で徐々に使えなくなってきてお蔵入りさせてしまいました。博物館のものはキーボードもストレスなく打てます。スピーカーも直せば使えるかと思います。こんな状態で残っているのがとにかく感動でした。
マニュアルも当時のままで残っていたので、中を見てみました。そういえば昔のマニュアルは、技術情報まで詳しく書いてあったことを、改めて思い出しました。しかも、例えば音の出し方とかもきちんと周波数ベースで書いてあったりして、小学生の当時理解できなかった部分も今見るとさすがにわかります。これは結構感動でした。
今この時代のマイコンを触るんだったら、完全分解とかになるかもしれません。多分この規模だからそんな気になるんだと思います。キーボードの下に本体が入っているというのも、今から見るとずいぶんコンパクトな感じがします。個人で全部を把握できるくらいの規模のコンピューターがホビーベースで存在したのは、1975年から1985年くらいの、せいぜい10年程度の間だと思います。それ以降は徐々に複雑になっていき、メモリ空間を全部把握するとかも困難になってきます。ある時期のみに現れた、非常にいい教材だったのではないでしょうか。
惜しむらくはもう少しだけ早く生まれていれば、もっと楽しめたはずなのにと今でも思います。そういえば当時は年上の人たちとばかりつるんでいました。P6仲間だった1個上のヤマケンやゴッちんやクッさんやドラ、FM7仲間だった4つくらい年上のS兄ちゃん、みんなどうしてるかなあ?などなど、もういろんなことを思い出してしまいました。またいつか時間のある時にマイコン博物館を訪れて、今度はFM7も含めてじっくり触りたいです。
まだここから1990年代とかもあるのですが、これ以降は私の中ではかなり新しい部類になってきます。iMacは色違いでたくさんあります。注目はNeXTSTEPでしょうか。大学院時代に少しだけ触ったことがあって、カラーだった記憶があるのですが、ノーマルではモノクロだったそうです。
青梅駅で18時には電車に乗りたかったので、滞在は2時間弱と短かったですが、とても充実していました。帰るときに、3階の倉庫と、1階の夢の図書館の現状も見せていただきました。3階には飛行機などのラジコン模型もあり、さらに拡充していくみたいですが、それ以上にまだまだ未整理のコンピューターが箱に入って山ほどありました。
聞いたらスタッフは3-4人程とのことなので、一つ一つチェックするのが大変だそうです。動かせるように修理などもしているとのことで、できれば私も手伝いたいくらいです。夢の図書館の方もリニューアルにはまだかかりそうとのことで、以前使っていたロッカータイプの書庫から全て雑誌などを出して、段ボール箱の中に詰め替えたものが山積みになっていました。
そうそう、せっかくなので天文関連話を。今回のことをブログの記事にしていいか聞いた際に、今の趣味は天文だという話になりました。すると、館長さんがなんと昔6インチの望遠鏡を自作したことがあるとのこと。観望会という言葉も出ていて、以前は天文少年だったみたいです。その流れで「天リフさんも以前来てくれましたよ」と聞いてさらにびっくりです。そういえば天リフの特集で夢の図書館来たという記事を見たことを思い出しました。天文ガイドのINTERACTIVEがキッカケで夢の図書館を訪れたという内容で、その後私もINTERACTIVEを全巻お借りすることができたので、記憶の隅に引っかかっていました。
今回は私の小さい頃の思い出という視点からマイコン博物館の訪問記を記事にしましたが、ここに来れば誰もが自分自身の当時の思い出に存分に浸ることができるでしょう。マイコンという分野はアメリカを端にしていますが、間違いなく当時の日本独自の文化というものが存在したと思います。その文化の一端に、実際の機器通して触れることができる貴重な場所です。写真もたくさん撮りましたが、とてもじゃないですがここだでは紹介しきれません。是非とも現地に行って自分の目でご確認ください。
マイコン少年時代
今回の記事は天文とは全然関係ありません。過去の別の趣味の話、と言っても少年時代の趣味になります。このブログでも何回か書いているかと思いますが、子供の頃の私はマイコン少年でした。きっかっけは小1の頃から愛読していた「コロコロコミック」の姉妹誌で、小3の頃に創刊になった「別冊コロコロコミック」に載っていたマイコン特集です。当時「ゲームセンターあらし」という連載をしていたすがやみつる先生がマイコン好きで、特集を組んでいたのかと思います。別コロには同じすがやみつる先生の「マイコン電児ラン」というマンガも連載されていました。確か小4の10月か11月くらいだったと思いますが、特集記事に小さなBASICのプログラムが載っていて、それを近所にあったジャスコの電気屋さんで、わけもわからず打ち込んだのが最初だったと記憶しています。何度かのエラーのあと、うまく動いたのですが、命令してその通りに動くということに感動したことと、逆に命令通りにしか動かないということを実感しました。初めて触ったマイコンなので機種は覚えていませんが、形から言ったらSHARPのMZ系だったのではないかと思います。
当時は電気屋さんがかなり解放されていて、何台もあるマイコンを自由に触ることができました。売り込みの意味もあったのかと思いますが、データレコーダーも置いてあり、そこで自分で打ったプログラムをカセットテープに保存して、そこに集まったマイコン仲間と交換とかもできました。私がよく通っていたのは当時の名古屋にあったカトー無線と栄電社です。性格上昔からそうだったのですが、この時もやっぱり夢中になりすぎました。一番酷かったのは小5の夏休みでした。午前が水泳部で、泳いだ後に疲れているはずなのにそんなことは全く気にせず、夏休みのほぼ毎日電気屋さんに通うという偉業を成し遂げました。これを見かねた親が、さすがにそこまで好きなら仕方ないと言って買ってくれたのが、当時まだ出たばかりのPC-6001 mkIIでした。専用モニターとデータレコーダーのフルセットでした。その後のコンピューター遍歴は中1で中古のFM-NEW7、中3で親が買ったはずのPC-9801VM21を結局占有したところくらいまででしょうか。高校時代はコンピュータから少し離れて、その後大学に入るときにDOS/V機を手に入れてからまたハマるのですが、ここら辺の話はまたいつかできればと思います。とにかく、今回のマイコン博物館の訪問はその子供の頃の記憶を辿るような経験で、最初に買ったPC-6001 mkIIが中心の記事になります。
マイコン博物館
マイコン博物館を見学するためには、あらかじめ予約が必要になります。このページの下の方に記入して申し込みます。
しばらくすると、予約が完了したとのメールが来るので、それで予約確定ということになります。予約完了メールの内容はとても親切で、電車もしくは車での行き方が詳しく書かれているので、迷うことはないでしょう。入館料は1000円、「動体展示」と言って今でも動く機種に触る場合は3000円とのことです。
青梅駅に降り立つ
事前の用事が長引いてしまい、青梅駅に降り立ったのはもう午後4時に差し掛かる頃でした。青梅は学生の頃に旅行で駅に降りた覚えがあるので、もう30年ぶりくらいです。改札は一つしかないので、出口に迷うことはありません。その旨も予約完了メールに書いてあります。改札を出て、右手に見えるセブンイレブンの脇の道を進みます。
道なりに100mほど進むと左手にコインパーキングが見えてきます。車で来た際はここを利用するといいとのことです。
コインパーキングの中に入っていき、そのまま通り抜けた先のビルにマイコン博物館があります。
ここはビルの裏口にあたり、写真にも写っている通用口から入りますが、鍵がかかっている場合は「マイコン博物館」と書いてあるベルを鳴らすと、まもなくスタッフの方が出迎えてくれます。
いよいよ中へ
到着が予約時間より少し遅くなってしまって申しわけなかった旨をお伝えして、中に案内されました。このビルの1階から3階がマイコン博物館と併設する「夢の図書館」なのですが、現在はマイコン博物館のみオープンしていて、夢の図書館はリニューアル中とのことです。マイコン博物館は2Fになります。荷物はロッカーに入れるといいのですが、ロッカーが早速凝っていて、それぞれにCPUの名前がテプラでつけれらています。
私は最初それに気づかずに適当な「TLCS-12A」とうところに入れてしまいましたが、後から聞いたら東芝が開発したCPUだそうです。混んでいるときにはどこに入れるかで取り合いになるとか。
金個室の中は
博物館の中の機器は年代順に並べられているそうです。
もともとこの博物館は銀行だった場所に作ったとのことで、当時の金庫部屋がのこっています。最初に案内されたのはその金庫部屋で、マイコンになる前の時代の機器が集められた小部屋でした。初期の計算機につながったのは、タイプライターを開発していた会社だそうです。
写真の棚の中段に見えるのが、ルパン三世が使っている銃で有名な、ワルサー社の回転式計算機で、タイプライターも作っているとのことです。ワルサーP38のモデルガンも置いてあります。上段に見えるのがコルト社のタイプライターです。コルト社もピストルを作っていて、戦後日本の警察でも採用されていて、インターポールの銭形警部がこの銃を持っているのはおかしくないとのことです。いずれもアメリカの会社で、タイプライターと銃が結びつくのが少し不思議ですが、初期の計算機は軍事と密接に関連しているので、繋がりが深いのかもしれません。
マイコン前の計算機の時代では、下の写真のようにキーボードにsinやcosなどの関数などを割り当てていたようで、こういったものを見ると、タイプライターと初期計算機との関係がすこしわかるかもしれません。
そもそも、コンピュータのことを今でも時々計算機と言いますが、昔のホビーマイコンを見ていてもそうですし、そのさらに前の時代では本当に計算機という言葉が似合います。例えば、博物館の中に弾道軌道の計算表が分厚い本になって置いてあったのですが、これらの計算を担うと考えたら、やはり計算機という意味合いなんですよね。ホビー方面にも進化したのは、計算だけにとどまらない応用ができるくらいに進化したということなのでしょう。
この部屋は小さいですが、ブログでは紹介しきれないくらい面白いものがたくさんあります。この時代のことを知っている人はもうかなり少ないと思うので、是非とも実物を見て、できるなら解説付きで案内してもらえるといいのかと思います。私が行った時は見学者は私一人だったので、親切に解説していただきました。
メインの部屋へ
メインの大部屋に移ります。この部屋では列ごとに年代順になっているとのことで、最初の列は1970年台です。私はまだ生まれていないか、小学生の低学年くらいまでで、ほとんどのものは実機を見たこともなければ、型番を聞いてもあまりわからないものが多いです。その中でも、最初に展示してあるものはここに来る人なら誰でも知っているはずの、Apple Iです。と言ってもここにあるのは復刻版だそうで、そのためきちんと可動する!とのことです。ちなみに今調べてみたら、オリジナルのApple Iの可動品は世界で10台程とのことで、eBayで150万ドル(今のレートだと2億円以上)で出品されたこともあるそうで、さすがにオリジナルを手に入れるのは難しいですね。
他にもALTAIR社の8080など、フロントパネルでスイッチをパチパチするタイプのものがありましたが、実は私はこのタイプをどうやって使っていたか知らなくて、その場でビットごとにスイッチを入れて記憶していくと説明を受けました。
1970年台後半には、Apple IIも置いてあります。この時代のもう一つの目玉はTK-80関連でしょうか。これも私は直接は触ったことがないですが、ホビーマイコン直前の大ヒット商品として有名ですね。ここではTK-85がフルセットで置いてありましたが、実は私は85の方はほとんど知りません。80のバージョンアップ製品のようです。
1970年台の一番最後にはPC-8001が申し訳程度に置いてありました。発売が1979年なので確かにこの列にあるのは正しいのですが、あまりに雑な扱いです。
と思って、次の1980年台の列に行ったら、純正フロッピードライブとデータレコーダーと共に、もっとしっかりしたセットが数台置いてありあました。確かに、PC-8001がメインで活躍したのは1980年に入ってからですよね。
2台目に買ったFM-NEW7
ここからは私にとって馴染み深いマイコンがたくさん出てきます。まずはFM-7です。列に並んでいたわけではないですが、途中のベットテーブルの上に置いてあり、目についたので写真を撮っています。
私は中1の結構最初の方に2台目のマイコンとして、中古のFM-NEW7を買っています。まだ土曜日が学校も休みになっていない時代のある土曜日のことだったと思いますが、中1の当時まだ大学を卒業したばかりの新任の若い女の担任の先生に「今日新しいコンピュータを買いに行くんだ」と言って、嬉しそうにはしゃいでいる場面をはっきり覚えています。FM-NEW7はFM-7の廉価版で、機能はほぼFM-7と同等です。今調べたら発売開始が1984年5月とあるので、1年ちょっと経った中古を購入したことになります。当時は雑誌が唯一の情報源で、広告欄を食い入るように見て、お年玉とかを貯めた貴重なお小遣いなので少しでも安いところを探し、結局コムロードというお店で買ったと記憶しています。対抗馬としてPC8801がかなり魅力的でしたが、価格的には全然自分で買えるようなものではなく、200ラインでしたが、6809の魅力もありFM系に決めました。それまで使っていたZ80系とは違いますが処理的にも早く、たとえPC8801は買えなくても、PC8001にするよりはFM7系だろうと当時考えていました。スタッフの方によると、FM-NEW7もこのマイコン博物館のどこかにあるはずだとのことでしたが、残念ながらメインの展示の中には見つかりませんでした。
年代的に少し前後しますが、FM-8もありました。8とついているので7の後に出たかと思われがちですが、発売は1981年5月と、FM-7の1982年11月よりも1年半ほど早いです。私はFM-8自身にはさわったことがなかったですが、FM-8の優れた設計はFM-7に引き継がれ、テンキーの真ん中を押さないとキャラの移動が止まらないという欠点も含めて、富士通の当時の思想に共感したものです。
東芝パソピア
もう一つ私の今の人生に大きく関わった機種を紹介しておきます。東芝のパソピアです。7の方ではなく、ただのパソピアです。というのも、まだ自分でコンピュータを手に入れる前、多分小4の冬くらいから小5の初めくらいだと思うのですが、自転車で15分くらいの親戚の家に入り浸っていました。母の姉の旦那に当たるのですが、親戚の中でも数少ない理系のおじさんで、当時のナショナルに勤めていていて、それでいてなぜか東芝のパソピアを自宅に持っていました。パソピアは後のパソピア7のようなホビーパソコンというよりはもう少し仕事向けでした。それでもジョイスティックを買ってあったりして、子供だった私やいとこにパックマンのようなゲームやオセロなどをさせてくれた覚えがあります。いとこは女の子二人の姉妹だったので、当然コンピュータに興味なんか持つわけもなく、その分興味を持った私がかわいかったのでしょうか、使っていない時はいつでも使っていいよということで、暇さえあればそれこそ平日でも押しかけていました。最初のBASICの基礎はここで学んだはずです。returnの綴りを口で呟きながら自転車で自宅まで帰ったことをいまだに覚えています。この時の時間を忘れてコンピューターに触れる経験はとてもありがたくて、叔父にはいまだに感謝しています。マイコン博物館に展示されていたものは当時のままの特徴のある赤と緑のキーボードで、とても懐かしかったです。そういえば、当時ROMカートリッジもたくさんあったので、かなりお金をかけていたと思われます。
80年台まだまだ続きます
1980年台と言っても、よく知っている機種はもちろんたくさんあるのですが、あまり知らない機種も結構ありました。多少なりとも知っているものはPC6001、PC-8001、PC-8801、初代PC9801、FM-7と8、パソピア、松下のJR-100、シャープのMZ-80系、1200、2000(多少触ったことあり)、日立のベーシックマスターレベル3、Jr.(名前だけで触ったことなし)、三菱のMULTI16 (ホントに名前だけ)などです。そうそうIBM PCも置いてありました。オリジナルを見るのは初めてだと思います。
あまり知らないものとしては、撮った写真に型番が写っているものだけでも、Commodore 8096-SK、Apple III(Apple IIまでしか記憶になかったです)、KYOCERAのM203 mark III (検索しても出てきませんでした)、BUBCOM80(富士通で製作され、FM-8にちょっと似ているZ80を使ったバブルメモリが使える機種らしいです)、Osbone Executive、Bondwell Portable Computer Model 12などです。多分ホビーの範疇ではないので、小中学生だった私にはほとんど知らない世界でした。
1980年台を繋ぐ間のところには、Commodore 64、CASIOのFP-1100やここで展示用のFM-7があり、さらにはシャープの初代X1もあります。最上段はぴゅう太ですね。友達がもっていて、カタカナベーシックは当時も多分今でもインパクト大だと思います。
1980年台の2列目になるともっと馴染みが深くなります。目玉はLisaでしょうか。Lisaを知らない方もいるかもしれませんが、これは今のMacの大元のようなもので、1983年当初でGUI操作を実現していました。このマイコン博物館で改めて知ったことは、キーボードがきちんと日本仕様になっていたこと、下の段にはLisaの裏蓋が開けられているものがあり、中身まで覗けることです。
他にもMZ−700、SONYのSMC-70、Apple IIe、NECのハンドヘルドコンピュータPC-8201、同じNECでPC-8001mkII、PC-6001mkII、NECブランドの京セラの名器PC-100、パソピア7、IBM系列ではXTとAT、さらには互換機のCompaqの初代機Portableも置いてありました。富士通はFM-11、SHARPはX1 turboまで進んでいて、MZでは全く記憶のない6500とかもありました。PC-9801はMまで進んでいます。
思い出のPC-6001mkII
さて、この日のメインのPC-6001mkIIです。これは初めて手に入れたコンピューターで、小学生ながらにかなりしゃぶり尽くしました。最初の頃はゲームをしたりプログラムを打ち込んだりでしたが、小6の時に「PC-Techknow テクニカル ノウハウ集」という専門誌に近いような本を買ってから状況が大きく変わりました。当時の値段は覚えていませんが今調べたら2500円でした。小学生が普通に買える値段の本ではなく、多分当時の栄電社に置いてあったと思うのですが、中身を見てどうしても欲しくなり、おじいちゃんにねだった覚えがあります。中身は技術的な情報が満載で、例えば打ち込んだBASICは中間言語という形に置き換えられて保存されているとか、listコマンドで見えないリストはなぜなのかとか、当時の私の拙い知識で理解できる範囲だけでも、後の理系人生を決定するほどの大きな勉強となりました。最近PC-TechknowのPC8801版は手に入れたのですが、PC6001版はいまでも手に入れられていません。
そんな話をスタッフの方と話していたら、なんとPC-6001mkIIの電源を入れてくれることに。モニターケーブルも探してきてくれて、モニターとの接続がRFではなくてデジタル信号だったことも思い出しました。デジタルだと、PC6001時代のRF出力の色ズレを利用してカラフルになるゲームが、mkIIだとうまく色がつかないんですよね。
ドキドキしながらPC-6001mkIIの電源を入れると、見事に立ち上がりました。文字に少し赤のズレがありましたが、記憶では真っ白だったはずなので、流石に経年劣化でしょう。垂直水平動機があったのを思い出しましたが、調整では直らなかったです。
せっかくなので5つ目のN60m BASICを立ち上げます。ご存知の方も多いかと思いますが、このmkIIは「しゃべり」ます。talkコマンドを思い出しつつ試しますが、どうも声が出ません。裏のつまみで音量が調節できたはずなので回してみたり、playコマンドも試したのですが音が鳴らないので、どうやらスピーカーが壊れているみたいです。耳を近づけて注意深く聞いてもノイズ音も何もしなかったので、スピーカーに電流が入っていないような感じでした。簡単なBASICは動かせましたが、昔みたいにサクサクはいかないです。考えたら最後に触ってからもう30年近く経っています。私のPC-6001mkIIはキーボードが接触不良で徐々に使えなくなってきてお蔵入りさせてしまいました。博物館のものはキーボードもストレスなく打てます。スピーカーも直せば使えるかと思います。こんな状態で残っているのがとにかく感動でした。
マニュアルも当時のままで残っていたので、中を見てみました。そういえば昔のマニュアルは、技術情報まで詳しく書いてあったことを、改めて思い出しました。しかも、例えば音の出し方とかもきちんと周波数ベースで書いてあったりして、小学生の当時理解できなかった部分も今見るとさすがにわかります。これは結構感動でした。
今この時代のマイコンを触るんだったら、完全分解とかになるかもしれません。多分この規模だからそんな気になるんだと思います。キーボードの下に本体が入っているというのも、今から見るとずいぶんコンパクトな感じがします。個人で全部を把握できるくらいの規模のコンピューターがホビーベースで存在したのは、1975年から1985年くらいの、せいぜい10年程度の間だと思います。それ以降は徐々に複雑になっていき、メモリ空間を全部把握するとかも困難になってきます。ある時期のみに現れた、非常にいい教材だったのではないでしょうか。
惜しむらくはもう少しだけ早く生まれていれば、もっと楽しめたはずなのにと今でも思います。そういえば当時は年上の人たちとばかりつるんでいました。P6仲間だった1個上のヤマケンやゴッちんやクッさんやドラ、FM7仲間だった4つくらい年上のS兄ちゃん、みんなどうしてるかなあ?などなど、もういろんなことを思い出してしまいました。またいつか時間のある時にマイコン博物館を訪れて、今度はFM7も含めてじっくり触りたいです。
その後の年代
まだここから1990年代とかもあるのですが、これ以降は私の中ではかなり新しい部類になってきます。iMacは色違いでたくさんあります。注目はNeXTSTEPでしょうか。大学院時代に少しだけ触ったことがあって、カラーだった記憶があるのですが、ノーマルではモノクロだったそうです。
1階と3階も見せてもらえることに
青梅駅で18時には電車に乗りたかったので、滞在は2時間弱と短かったですが、とても充実していました。帰るときに、3階の倉庫と、1階の夢の図書館の現状も見せていただきました。3階には飛行機などのラジコン模型もあり、さらに拡充していくみたいですが、それ以上にまだまだ未整理のコンピューターが箱に入って山ほどありました。
聞いたらスタッフは3-4人程とのことなので、一つ一つチェックするのが大変だそうです。動かせるように修理などもしているとのことで、できれば私も手伝いたいくらいです。夢の図書館の方もリニューアルにはまだかかりそうとのことで、以前使っていたロッカータイプの書庫から全て雑誌などを出して、段ボール箱の中に詰め替えたものが山積みになっていました。
ちょっとだけ天文
そうそう、せっかくなので天文関連話を。今回のことをブログの記事にしていいか聞いた際に、今の趣味は天文だという話になりました。すると、館長さんがなんと昔6インチの望遠鏡を自作したことがあるとのこと。観望会という言葉も出ていて、以前は天文少年だったみたいです。その流れで「天リフさんも以前来てくれましたよ」と聞いてさらにびっくりです。そういえば天リフの特集で夢の図書館来たという記事を見たことを思い出しました。天文ガイドのINTERACTIVEがキッカケで夢の図書館を訪れたという内容で、その後私もINTERACTIVEを全巻お借りすることができたので、記憶の隅に引っかかっていました。
是非とも訪問してみてください
今回は私の小さい頃の思い出という視点からマイコン博物館の訪問記を記事にしましたが、ここに来れば誰もが自分自身の当時の思い出に存分に浸ることができるでしょう。マイコンという分野はアメリカを端にしていますが、間違いなく当時の日本独自の文化というものが存在したと思います。その文化の一端に、実際の機器通して触れることができる貴重な場所です。写真もたくさん撮りましたが、とてもじゃないですがここだでは紹介しきれません。是非とも現地に行って自分の目でご確認ください。