ほしぞloveログ

天体観測始めました。

カテゴリ: 見学、訪問

今年のゴールデンウイークですが、前半に関東で用事があって、富山から車で移動していました。その帰り道の日曜日、せっかくの休みで時間をあまり気にしなくていいので、少し遠回りをしてこようと思い、観光がてら途中から高速を抜け出し、下道で観光です。


朝早く富山に向けて出発

渋滞を避けるために朝早くから出発し、すでに混み始めている中央道の渋滞の、先頭くらいを走っていました。長坂インターで降り、そのまま北に清里方面に向かいます。清里はかなり昔に一度行ったことがあり、今回最初に行った清泉寮も、朧げながらですが茶色い建物だったことを覚えていました。でも今回見たら黒い壁になっていて少し記憶と違いましたが、もう30年近くも前のことなので、ペンキを塗り替えたか、記憶違いかもしれません。

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そこでソフトクリームを食べ、富士山を見ながら食べ、さらに30%オフの袋詰めのパンを買い込み移動します。本当はハンバーガーとかメニューにあったので食事をしたかったのですが、朝早くはアイスや飲み物だけしか販売していませんでした。

清里と言えば、バブル期に芸能人ショップなどが乱立し、ものすごい賑わいだった場所です。そこが今どうなっているのか、廃墟のようになっているとも聞きます。その現場である清里駅前まで、車で5分くらいの距離を移動します。駅に通じる道から確かにもう使われていないと思われる、ちょっと変わった建物が見え始めます。でも、駅前自体は思ったより普通でした。

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観光客も多少はいますし、店も普通に開いています。電車で来ていると思われる人も結構いて、廃れ切っているというわけではなさそうです。車は朝早かったせいか、駅の隣に公共の駐車場が空いていて、短時間の観光なら停めてもいいとの説明書きがあったので、少しの間駐車しておきます。歩いて駅の周りを歩くと、お城のような建物が使われずに佇んでたり、期待していた感じで満足です。お城のてっぺんをドームにして望遠鏡を入れるのも面白そうです。

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電波望遠鏡

次はいよいよメインの野辺山宇宙電波観測所へと移動します。と気合を入れていたのですが、清里からかなり近く、車で10分くらいだったでしょうか。この日はゴールデンウィークで、天文台の敷地内に車を止めることはできずに、野辺山スキー場の駐車場に案内されます。駐車場からは山の上なので、眼下の遠くに電波望遠鏡が見えます。

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天文台までシャトルバスで移動になります。シャトルバスは補助席まで含めて30人くらいは乗れます。10分おきくらいにバスが来るので、ほとんど待ち時間は気にならなかったです。天文台まではシャトルバスで5分くらいです。

天文台の駐車場に到着し、バスから降りて、早速電波望遠鏡がある方向に行きます。入り口には受付があり、人数とどこから来たかをタッチパネルで入力する必要があります。

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その先にテントがあり、スタッフらしき方がいたので聞いてみると、ゴールデンウイークのこの日は特別のガイドツアーがあるとのことです。11時からというので、時計を見ると10分前の10時50分でした。まだ席があるということで、有料で1人1000円ですが、40分ほどの解説と最後に普段は入れないところも入れるというので、早速申し込みます。

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ご存知の方が多いと思いますが、この電波天文台は昨年の名探偵コナンの映画の舞台になったところで、しかもつい先日テレビでその映画が初放送されたばかりなので、天文ファンだけでなく、コナンファンも来ています。というよりは、天文ファンよりもコナンファンのほうが多かったような感じでした。かくいう私もテレビ放送を見ておいたので、今回のツアーは十分に楽しめるはずです。

そうこうしているうちに11時になり、ガイドツアーに申し込んだ人達が集まりだし、解説してくれるという研究者の方が登場しました。今回解説してくれてのは、何とコナン君に扮したこの電波観測所の所長です!所内施設をとてもわかりやすく、しかも十分に笑いをとれるレベルの会話術で解説してくれました。子供達にも親切に話しかけていて、とても好感が持てました。

最初のパネル展示の解説が終わり、いよいよ映画でも出てきた、「ここから先は携帯電話禁止エリアです」という場所にきました。
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必ず電源を切るのかと思ったら、マナーモードでもいいそうです。確かに、電源を切ってしまったらスマホで写真を撮れなくなってしまいます。タブレットとか、PCのネットワークやBluetoothは大丈夫かと心配になりましたが、何も言っていなかったので、やはり携帯の電波が観測の邪魔になるようです。実はその時タブレットもPCも持っていて、心配だったので事前に電源を切っておきました。

少し歩いていくと、目の前に10メートルの電波望遠鏡がいくつも並んでいるのが見えてきます。10メートルというのは円盤の直径だそうです。

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下の写真にも写っている、黄色い3つの設置台で支えるらしくて、その台に置くために望遠鏡を載せて移動させる車があるそうです。そう、コナンの映画でも出てきたあの黄色い車のことです。10メートルの望遠鏡は製作時当時で1台7億円。設置台はまだ数があったのですが、予算の都合で全部載せるまでは数を作ることができなかったそうです。

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10メートルでも十分に迫力があるのですが、遠くに一つ、もっと大きく見える電波望遠鏡があり、そちらに向かって歩いて行きます。この望遠鏡、直径が45メートルもあり、近くで見ると圧巻です。

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ここでは解説もあと、質問タイムも設けられていて、お客さんからいくつも質問が出ていました。実はこの日は妻と一緒に来ていたのですが、高校生の時にここに来たことがあるというのです。あまり覚えているわけではないようですが、こんなにたくさんの望遠鏡はなく、もっとシンプルだったとのことで。何でも所長の解説によると、ここができたのが40年前、妻が訪れたのはおそらくまだできて間もない頃だったと思われます。でも、ここへの訪問も直前に決めたので、妻はコナンの映画を見ていたわけでもなく、今いちピンときていなかったみたいでした。

最後はこのツアーのメインの、あの黄色の望遠鏡移動車に乗り込むことができるイベントです。普段は関係者以外は立ち入り禁止のエリアに保管してあり、今回のような特別なガイドツアーでのみ体験できるとのことです。一人一人乗り込むことができ、それぞれが写真を撮ったりして映画の気分を味わえます。

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映画ではこの車がすごいスピードで動いていて、後ろから他の車とカーチェイスを繰り広げるなど、最後の場面で重要な役割を果たすのですが、残念ながら実際のスピードはせいぜい早歩きくらいで、コナン扮した所長曰く「これが真実です。」とのことでした。

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映画ではここを移動車が走り抜けて行きました。

黄色い移動車で順番に写真を撮っている間は、所長を囲んでの質問タイムにもなっています。夏は大気の揺らぎで電波が乱されるので、電波観測ができなくて、主に冬の間が観測期間になるとのことです。今はまだ冬の季節の最後らしくて、5月初めまでがちょうど最後の観測期間だとのことでした。私も「昼間も観測はできるのですか?」と聞いてみると、可視光でないので昼でも、今この瞬間も観測しているとのことです。そうすると「天体を追尾しているのですか?」と聞きたくなるので実際に聞いてみると、やはり微動で追尾しているそうです。1周360度回転するのに10分程かかるというので。見ている限りほとんど動いている様子は分かりません。「見ている天体を移動するときは速く動きます」とのことでした。他にも「アンテナ面の掃除はどうやってやるのですか?」と聞いてみると、何と「掃除はしない」とのことです。大きすぎて大変なのでしょうか?そうすると他の女性の方が「鳥のフンは問題にならないのですか」と面白い質問を投げかけました。「海の近くの望遠鏡ではカモメの分が問題になっているが、ここではほとんど問題にならない」とのことでした。

と質問時間の最中、突如「ウィーン」というモーター音のようなものが聞こえ始めました。もしかして、と思ったらやはり45m望遠鏡が回転を始めた音でした。その後、5分ほどかけてほとんど反対向きになるまで180度くらい回転しました。ずっと回転を追うことができて、非常にラッキーな場面を見ることができました。下の写真と上の写真を比べてみると分かりますが、望遠鏡の向きが反対になっているのがわかるかと思います。

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楽しかったツアーも終了です。実は所長とは少し面識があり、最後に少し挨拶をして、帰り際に展示室を少し覗きました。途中、電波でのヘリオグラフで太陽を観察しているという看板がありました。分光で太陽のヘリオグラフをやっているので、電波でもできるのかと感慨深かったです。

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帰りもシャトルバスに乗ってスキー所の駐車場まで戻ります。もう13時頃になっていて、昼食を食べに移動します。


昼食かを食べ、下道移動が続く

昼食は野辺山エリアの「レストラン141」という所に行きました。国道141号線にあるので「141」とのことです。私は牛筋シチューを頼みました。柔らかく煮込まれた肉が「ゴロゴロ」、というより「ドカンドカン」と入っていて、じゅゅうぶん満足できる量でした。

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ランチメニューで焼肉とかもあり、テーブルで焼いて食べることもできるようです。隣の人が焼肉を焼いていて、そちらも美味しそうでした。

お腹も一杯になり、そこからも下道で、今度は松本方面に抜けます。少し眠くなったので妻に運転を代わってもらいました。途中バルーンフェェスタの看板があり、少し心惹かれましたが、油断していると遅くなってしまうので頑張って素通りです。この道は昔一度走ったことがあって、上田から足を伸ばして、この道沿いにある「鹿教湯温泉」というところで一泊したことがあります。途中大きな事故があるのを見て、安全運転に改めて気をつけながら、松本に近づきます。

松本からは大町、白馬、小谷を経由して糸魚川に抜ける下道で、100kmほどの行程です。ほとんど移動だけでしたが、途中青木湖というところのほとりに、まるで外国のリゾート地にあるような雰囲気の喫茶店がありました。「ao LAKESIDE CAFE」という名前なのですが、少しだけ覗いてみると、まるで隠れ家のような佇まいで、とても雰囲気が良さそうで、おしゃれな人が集まるようなところでした。寄っていくか迷ったのですが、まだ富山まで時間もかかりそうで、いつかこのためだけに来ようと思いつつ、お店と湖を後にしました。雨の中の湖でしたが、本当に日本じゃないような雰囲気で、後で調べてみるとこの青木湖は透明度ランキング9位に入っているような綺麗な場所のようです。 

糸魚川についてからは高速に乗り、そのまま富山に向かいます。この日はずっと観光でしたが、前日まではかなり忙しかったので結構疲れていていて、あまり遅くならないようにと思い、それでも自宅に着いたのは20時頃になっていました。


まとめ

最終日がまるまる空いたので、突然決めた観光と、さらに直前に決めた野辺山の電波天文台でしたが、ゴールデンウィークだったこともありガイドツアーにも参加でき、とても楽しい一日でした。今後もちょくちょく関東を行き来することになりそうなので、またこんなふうに観光がてらの移動も楽しめればと思います。


6月末の週末の天文活動です。観望会とか、施設見学とかでなんか忙しかったです。


飛騨コスモス天文台での観望会

2025年6月28日、久しぶりに飛騨コスモス天文台の観望会に顔を出しました。前回は2024年の9月で、冬は雪のために4月まで中断、今年初だったはずの5月の観望会は悪天候で中止だったので、今回が今年初になります。

といってもこの日は別件で忙しく、天文台に到着したのは遅めの21時前くらいでした。本当に久しぶりに下の子が付いてきていて、たしか前回来たのは小学生の頃のはずなので、もう6年くらい前になるはずです。子供の大きくなった姿を見て、スタッフの方たちはびっくりしていました。

天文台に移動する直前に空を見たら少し雲が出始めていたので、観望会も曇っているかと思ったのですが、こちらの方はまだ快晴に近く、いつもの散りばめられたたくさんの星と、東の空には天の川が大きく見えていました。

この日は高山方面が朝から快晴だったらしく、かなりの数のお客さんが来ていました。子供もたくさんいて、ちょうど昔作った天体カードを配っている最中でした。スタッフの方が私が撮影した写真だと説明したら、何人かの小さな子から「ありがとうございました」と丁寧なお礼がありました。

中高生っぽい子の姿も何人かありました。一人の女の子に声をかけて見たら、なんと珍しく高3ということで、母親がどこかでこの観望会のことを聞いて参加したとのことです。ちょうどいいので、スコープテックの二つ穴ファインダーのついている屈折を、若者は若者同士でうちの子と一緒にセットしてもらうことにしました。息子も久しぶりなので、色々思い出しながら望遠鏡をいじってたみたいですが、昔よく触っていたので導入とかは全く問題ないようでした。あいにくこの日は月も沈んで、火星も夕方だけ、木星土星は夜中過ぎからで、「何かいいのない?」と聞いてくるので「アルビレオはどう?」と言いました。でも、そもそもアルビレオが何かを忘れているようで、夏の大三角から説明し、デネブ、白鳥座、アルビレオと伝っていて、やっと少し思い出したようでした。無事に見えていたようですが、途中で倍率を上げたくなったみたいで、短焦点のアイピースを借りに来ました。倍率の計算も忘れていたみたいで、お客さんに倍率を聞かれて戸惑っていました。

さらにこの日は、自宅の近くに引っ越してきた昔からの知り合いが参加してくれました。以前自宅に太陽観察に来てくれた中2の女の子と、ご両親です。昔海外に住んでいた頃の日本人仲間で、私にとっては兄貴分のような存在の方です。何の縁か、今では本当に近くに、ちょと頑張れば歩いても行けるような距離に住んでいるので、今後も色々参加してもらえれば嬉しいです。この方、スーパー理系な方で、観望会でもCCDの原理を娘さんに解説していました。聞いたら、デジカメがまだ世に出回る前にCCDセンサーとか触っていたらしいです。娘さんも真っ当に育つわけです。


久しぶりの夜の天体

私の方はというと、着いて早々スタッフの方から電視観望を見たいとリクエストされて、早速準備に取り掛かかりました。でも自宅を朝出る時に曇りだったので、油断して大した準備もしてなくてもう全然ダメでした。最近はブログでも書いている通り、もうずっと太陽に夢中で、夜の方がほとんど盛り上がっていません。電視観望も久しぶりですし、トラブルだらけだったのですが、反省の意味を込めてダメだったところを全部書いておきます。
  1. 三脚の上につけてあるアダプターがアルカスイス互換のミゾの方で、広角電視観望用の50mmレンズ+ASI294MCの下側のアダプターもアルカスイス互換のミゾの方です。なのでアルカスイス互換のガタの方が上下についているプレートが必要なのですが、これまで電視観望用に使っていたものはとっくに太陽で使ってしまっていて、今回持ってきていませんでした。しかたないので、たまたま持っていたアリミゾ相当のプレートを三脚に付け替えて難を逃れました。
  2. 少しでも大きい画面でと、M1 MacのARM Windowsで見ようとしたら、ZWOのドライバーはWindowsを再起動してしかもドライバーの署名オフの呪文が必要で、やり方を再確認する時間ももったいないので、結局小さい画面のWindowsノートに交換。しかもそのWindowsノートが充電されてなくて、AC出力付きのモバイルバッテリーで充電しながら作業する羽目に。
  3. さらに、広角電視観望用の50mmレンズとCMOSカメラをつなぐアダプターを他に回してしまって、Amazonで買った固定長のアダプターに変えておいたのですが、なんと無限遠でピントが出ず。この時点で結局、広角電視観望はあきらめました。上の載せ替え作業の時間はまるまる無駄になってしまったということです。
  4. 次にトラバースとFMA135とUranus-Cでコンパクト電視観望をやろうとするも、トラバースに入っている充電池が切れてます。しかも予備電池を自宅で他に使ってしまっていて、持ってきていません。仕方ないので、AZ-GTiのに入っていた電池を無理やり使い回しました。
  5. ここでWindowsノートがまだあまり充電されていなかったので、再びM1 Macに変えます。Player Oneのカメラは署名オフの必要がなくそのまま使えるのです。
  6. 初期アラインメントでは、トラバースに対してFMA135の取り付けを左右間違えていたので、初期導入が始まると同時にFMA135の先端が下に下がっていきます。時間ももったいないので、アラインメント途中でFMA135を無理やり外して、向きを入れ替えました。
  7. そんな適当な状態なので初期アラインメントは取れているはずもなく、SynScan ProのSynMatrix AutoAlignを使おうとするも、プレートソルブに必要なインデックスファイルをサボってダウンロードしていなかったことを思い出し、もうしかたないので適当アラインメントとマニュアル強引導入で何とか運用しました。
とまあ、こんな状態でとにかくもうボロボロでした。ここまでのトラブルはこれまでなかったので、いかに普段から触っているということが重要だと、改めて認識できました。こう考えるとスマート望遠鏡は遥かに楽なはずなので、慣れていない場合はスマート望遠鏡をお勧めします。

結局この日は、M57とM27だけ見せることができ、この日来ていたかんたろうさんとの連携で、45cmドブと一緒に見比べてもらいました。

ほとんどのお客さんは22時頃には帰ってしまい、その頃から少しづつ雲も出てきました。最後まで残っていたのは結局、スタッフさんとかんたろうさん、私の知り合いの一家3人、そして私と息子だけでした。雲が完全に広がってきた23時頃には撤収となりました。それでも梅雨時の6月にこれだけの空が見えたのはかなりラッキーでした。お客さんも久しぶりにたくさんきていたので、まだまだ飛騨地域の観望会の受け皿として続けていけたらと思います。


カミオカラボ

この週末は観望会だけでなく、すぐ近くの神岡町の道の駅にあるカミオカラボに行ってきました。せっかくなので、神岡の街と一緒に紹介したいと思います。

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なんでこんな田舎の道の駅にこんな立派な施設が、しかも入場料無料であるんだ?というくらい、宇宙好きにはたまらないと思います。それもそのはず、岐阜県飛騨市神岡町は世界に誇るニュートリノ検出器や重力波検出器がある町なのです。

ドーム内に入ったような気分になる映像や仕組みで、こんな写真を撮ったりもできます。
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他にもここだけのオリジナルな展示品や、各種素粒子ゲームなども充実しています。ぜひとも現場に来てたいけんしてほしいとおもいます。
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施設だけではなく、イベントも頻繁に行われています。この週末も、少し坂を下った公民館でニュートリノの講演があったり、カミオカラボ内で重力波の講演があったりしました。私はニュートリノ講演は聞くことができましたが、重力波の講演の時間帯はなぜか忙しくて (笑) 聞いていることができませんでした。ニュートリノの講演は掘削工事のお話がメインで、大きな施設をいかに作るかというとても興味深いものでした。夕方からの講演にも関わらず、多くのお客さんが来ていました。重力波のほうもカミオカラボの講演スペースが立ち見で一杯でいっぱい人なるくらいたくさんのお客さんが来ていて、とてもわかりやすい話だったとの評判だったようです。カミオカラボの講演はほぼ毎月のペースで行われているようなので、その日に合わせて訪れるのもいいのかと思います。

帰りは道の駅にあるお土産屋に立ち寄ると、ここでしか手に入らないようなグッズがたくさん売られています。買わなくても見てるだけでも楽しいです。
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神岡の町

せっかくの機会なので、神岡の町の紹介もしてみましょう。カミオカラボから歩いて行ける距離に神岡城があります。ここは資料館になっていて、付随の2施設とともに200円の共通入館圏で見学することができます。神岡の歴史や鉱山のことなどがわかります。
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神岡城は街を見下ろす高台にあるのですが、下って橋を渡ると神岡の町の中に入ります。
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この橋は車が通ると体で感じるほど揺れるので、結構怖かったりします。

神岡の町中は、もう何と言っていいのか、そのまんま昭和の雰囲気で、レトロな日本を味わうことができます。
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例えばメインの通りを歩いてすぐのところに、昔ながらの玩具屋さんがあります。駄菓子がたくさん置いてあって、ここにくると大人買いしてしまいます。今回もこんなに買っていいのかと思ってやっと380円でした。昼間には地元の子供達もよくお菓子を買いに来るようです。

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私はメイン通りから一本入ったところにある食堂の「もりのや」が好きで、この日もいつもよく食べるカレーライスを頼みました。飛騨牛のスジ肉がトロトロで、何とこれで普通もりです。以前大盛りを頼んで、多すぎてギブアップしたことがあります。
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息子は牛丼を食べていました。この牛丼、カレーよりも結構高めで、値段の割に量もそこまで多くないので、食べ盛りには不満じゃないかと心配していたのですが、今までに食べたことがないくらい美味しい牛丼だったとのこと。このお店は飛騨牛を使っていて、多分この牛丼も飛騨牛かと思います。なので牛丼もそれだけ美味しかったのかもしれません。今度行った時に私も食べてみようと思います。ちなみにこの日は2階が宴会で、ほぼ貸切状態のところに無理を言って作ってもらったのでシンプルなメニューを頼んだのですが、他にも神岡名物のとんちゃん定食とか、てんこ盛りの唐揚げ定食とか、リーズナブルに食べることができます。隣のテーブルに座った外国人のカップルが全く日本語が話せなくて、通訳してたのですが、女性の方は唐揚げ定食を頼んでほしいというので聞いてみたら、混んでいるのでちょっと時間がかかるけど大丈夫のこと。店員さんが「最近はこんな小さなところなのに外国人も多くて、対応が大変」と言っていました。せっかくなので「なんで神岡に来たの?」と聞いてみたら、富山から上高地に行く予定で、その途中に神岡に寄ったとのことでした。観光地としては高山とかもあるのですが、富山から来て上高地に向かうとすると、神岡が分岐点になって、41号線を下っていく高山方面と、安房峠から松本に抜ける上高地方面に分かれます。

メインの通りをずっと奥まで行き、階段を上っていくと大津神社にたどり着きます。
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毎年4月には「飛騨神岡祭」があり、夜にメインの通りを大津神社を目指して練り歩いていきます。まるで絵本の1ページを切り取ってきたかのように幻想的です。
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下の写真は、まだ子供が小さかった頃に、神岡祭で出会った天狗様に正面から対峙しているところです。高下駄を履いて鼻の高い天狗様の姿にちょっとビビっていて、勇気を出して話しかけにいってました。
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あと、「ガッタンゴー」と言って、旧神岡鉱山鉄道のレールの上を自転車で走るアトラクションがあります。写真はかなり昔に撮ったもので、当時はまだ1コースしかなかったのですが、いまでは「町中コース」と「渓谷コース」の二つがあるようです。

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今回は私にとって身近な神岡の町の紹介でしたが、ここからさらに車で30分くらい41号線を南下すると、映画「君の名は。」の舞台になった飛騨市古川町、さらに30分で観光名所の高山があります。高山は有名なので行ったことのある方も多いかと思いますが、今回紹介した小さな神岡の町もとても魅力的です。昭和のレトロな雰囲気と、宇宙研究の最先端が同時に味わえる貴重な場所なのかと思います。


まとめ

いつもの飛騨コスモス天文台の観望会から始まって、道の駅のカミオカラボ、神岡の町の様子と記事にしました。レトロな雰囲気が好きな方には、神岡町はたまらないと思います。夜の星を見ることも一緒に計画に入れると、かなり満足するコースとなるかと思います。ぜひ夏の旅行の候補としていかがでしょうか?


2025年3月30日、富山にある射水市新湊 (しんみなと) 博物館の「天空展」に行ってきました。これは私が所属するアマチュア天文グループの富山県天文学会(通称「県天」)の写真展で、私も2点ほど展示させて頂いています。

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講演会を聞きに

この日は天空展の企画の一環で、同じ県天メンバーの方の講演があって、「星空に魅せられて」というタイトルでアマチュア天文家の天文愛を一般の方にとてもわかりやすく伝えていました。

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来ていたお客さんは63人だったそうで、決して大きくない部屋に、最初立ち見で人が溢れていて、急きょ椅子を大量に出していて、ぎゅうぎゅう詰めでみんな座れたイメージです。その中で県天メンバーはせいぜい10人くらいだったので、基本的に一般の方が多くて、それに相応しい話の進め方で、とても参考になりました。


2つ目の展示室が面白い!

講演前に時間があったので、展示室を見学しました。

博物館は展示室が3つあって、1つ目がおそらく一般にある博物館のイメージの部屋で、射水市の歴史や文化などが展示されています。2つ目の部屋はテーマが測量で、和算を含めた数学的な展示が中心になっています。3つ目が天文関連です。博物館としては珍しく、何と2/3が理科系の展示になっています。

正直いうと、1つ目の部屋は私的にはあまりインパクトがなく、一番印象に残っているのはジオラマで、田んぼの間を船で移動するというような、日本昔ばなしのおとぎの国への合言葉が相応しいような風景でした。例えば射水市の内川という地区は日本のベニスと謳っているくらい、射水地域は昔から水と共に暮らし、水に悩まされてきた地域だそうです。

普通の見学のように一つ目の部屋を通り過ぎたのですが、2つ目の部屋は最初から興奮気味でした。(今回掲載した写真は、博物館のスタッフの許可をとって撮影し、ブログに載せることを了解していただいています。)

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最初は古地図だったのですが、今の富山でもよく知っている地名が所々に見られます。例えば国道41号線は富山の真ん中を突っ切っていて、今は名古屋まで通じているのですが、この道は私もよく通ります。古い地図を見ていると、今でも駅名クラスで残っているメジャーな地名と、地元の人くらいが知っている地名、消えてしまったようで私も知らない地名など、今と比べるととても面白いです。

入り口の地図のところを通り抜け、途中から本格的な測量の展示になります。
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越中の偉人として石黒信由という人がいて、江戸時代に有名な数学者の関孝和の関流に師事し、第六伝という免許皆伝に至った人の功績を紹介しています。石黒信由はこの博物館の場所からわずか何百メートルか離れたところの出身で、彼の功績を伝えるために地元に博物館を作ろうということで、この場所に建設されたとのことです。

石黒信由の人柄などを説明することもそうなのですが、むしろどんな数学やどんな測量をしてきたかという観点から展示されているのが、博物館らしくなくてとても面白いです。例えば下の写真の円と三角形の関係など、すでに三角関数を多用してきたこともわかります。この図を見てるだけでも、今の数学で残っている用語もあれば、消えてしまった用語もあります。なぜ消えてしまったのか、数学的な意味はどうあったのかなど、ここだけでもじっくり時間を過ごすことができます。
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江戸時代に正確な日本地図を作った伊能忠敬が富山に来た時には、石黒信由と実際に会っているとのことです。当時の石黒信由率いる富山の測量技術は伊能忠敬らの測量技術よりも優れたろこともあったと言われるほど高度だったようで、同じ道を目指す同士で相当語り合ったらしく、さぞかし盛り上がったのではないかと想像します。私も天文好きの人と話すとものすごく盛り上がるので、なんかよくわかる気がします。

展示物の中には、測量に使った車を再現したものが何気に展示されていたりします。話を聞くと、実際に当時使われた歯車だけを元に、現代に車型の測量器を再現してしまった人がいて、それが何と富山県天文学会の今の会長とのことです。

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歯車だけから再現した距離の測定器。手前の白い丸はカウンターです。

他にも、離れた場所の水平を測定するのに、木で作った水に浮かべる基準のようなものを再現したというのですが、残っている当時のものと同じものを作ると、木の上につけた部分が重くてそもそも水に浮かばないというのです。距離測定の車も歯車部分しか残ってなかったとのことなのですが、もしかしたらと言う時の技術が漏れないように、後に伝わっているものと当時の機器には違いがあるのかもしれません。そんな想像をするだけでも、いろいろ考えさせられます。

他にも、軸心磁石盤と呼ばれる銅でできた測定器が展示されているのですが、銅器製作が専門の方に依頼して分解したところ、中から銘が出てきて、今でも銅で有名な富山の高岡で製作されたことがわかったとのことです。

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これは展示物とは違いますが、
職員の方が別途ヤフオクで落札した軸心磁石盤とのことです。

この銅の専門家というのも、県天メンバーとのことです。富山県天文学会はすごい人達がいるグループなのだと改めて実感しました。

地元の博物館で、地元のそれぞれの専門家が携わって検証していく話なんかは、地元にいないと絶対聞けないので、もう感心するやら感動するやらで、とても充実した見学になりました。

博物館の方に、今回あまりに面白かったことを興奮交じりに伝えたら、資料をいくつか頂くことができました。この資料も読み始めているのですが、かなり面白くて、今の数学と同じようなところもあれば、全く違った発想のところもあります。この頃の測量は天文学にも相当通じるところがあり、現代の観望会で子どもたちに話すネタにも繋げることができそうです。


天体写真展の様子

そうそう、肝心な第3展示室の天体写真展のことを書くのを忘れていました。この展示室は2つに分かれていて、前半が常設展で、後半がイベント用の部屋となっているようで、今回の天空展は後半の部屋で開催されていました。県天メンバーが撮影した写真が壁にたくさん飾られています。彗星の写真に、星景写真、星雲などです。
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この中には、前会長が撮影した写真と、さらに前々会長が撮影した写真が展示されていました。お二人とも故人なのですが、ご家族の方がいらしていて少しお話しすることができました。私が星を始めてすぐのころに、地元の星見場所の牛岳というところで前会長に誘われて県天に入会しました。それがあって今ここにいるので、ご家族にも感謝とお礼を伝えることができました。前会長は晴れていれば必ず星見に出るような人で、家族にそのことを聞いたら、やはり全く同じ認識だったようです。博物館方の方に頂いた石黒信由の解説本の中に、西村太沖という天文学者が出てきて、加賀藩の天文学の講師の仕事をほったらかして故郷の城端(じょうはな)に帰って、自宅の屋上に天文台を作って毎晩天体観測をしていた人の話が出ていたのですが、江戸時代でも現代でも、好きなことにのめり込む人はいつの時代でも一緒だと、少し前会長と重ねてしまいました。

この「天空展」にはニュートリノ検出や重力波検出の展示も少しあり、近辺にある研究施設の地元で展示解説という位置付けなのかと思います。

今回の写真展のテーマは「面白い名前の天体」と聞いていたので、私は「イルカ星雲」と「スパゲティ星雲」を提供しました。写真的には他にも候補はあったのですが、今回はホントに名前だけで選びました。
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そうそう、この日は珍しく妻が一緒についてきて、普段あまり星に興味がないのに、講演も、その後の天体部屋の解説も面白そうに聞いていました。写真展では、私のスパゲティ星雲を見た時「心臓みたい」と呟いてました。なるほど、赤が動脈で青が静脈と考えると、形から言ってもスパゲティというよりはリアルな心臓に近いと私も妙に納得しました。ハート星雲の名前はこのSh2-240に譲るべきかもしれません。いや、ハートと言うとハートマークの印象の方が強いので、Heart星雲か、ズバリで心臓星雲でしょうか。

その後、妻は第2展示室の和算も面白いと言っていました。少なくとも妻が理系人間でないのは知っているので、何が面白いと思ったのかは私には理解できなかったのですが、理系に限らず文系寄りの人にも面白いと思える何かがあって、それが伝わるのかもしれません。


観光地射水・新湊

この新湊博物館は「カモンパーク新湊」という道の駅の一角にあります。ここのフードエリアの脇にあるファストフードカウンターの「白エビバーガー」が名物で、今時500円という良心的な値段です。他にも白エビを使った蕎麦や丼ものが、地元の人が普通に食べられる値段で提供されています。

博物館の見学が終わってから、この日も白エビバーガーを食べようと販売機の前に並んだのですが、何と私の一人前の人で最後で売り切れ。それ以降気分が乗らなかったので普通のカツ丼を食べたのですが、これも普通盛りでも十分な量があり、何と650円。

他にも、「かけ中」という名前で広まっている、うどんダシに中華麺(ラーメン)という組み合わせが、ここ射水・新湊地域のソウルフードらしくて、それを味わうこともできるとのことです。

道の駅からさらに足を伸ばして海の方まで行くと、海王丸バークという公園があり、帆船の中を見学することができます。帆船といってもかなり大型の船で、子供なんかは大喜びだと思います。パーク内にはラジコン用のサーキットがあり、休日などはラジコンマニアが走らせに来ていて、それを見ているのも結構面白いです。天文の前の趣味がラジコンで、私もこのサーキットにたまに走らせに来ていました。

天気のいい日なら、新湊大橋を渡ると立山が大迫力で見えるかもしれません。

惜しむらくは、車が無いといくつかの場所を回るのが辛いところでしょうか。これは富山観光の欠点の一つで、観光で来る場合はレンタカーを借りるか、富山近辺の知り合いをつかまえて車を出してもらうといいかと思います。

富山の人は是非とも新湊博物館に訪れてみてください。博物館のスタッフの方が「白エビバーガーが有名なので食べに来てくれるけど、その奥まではなかなか来てくれない」と嘆いていました。というか、富山在住で理科系が好きな方は、一度は行ってみてください。特に2部屋目の和算の部屋は、こんな人がいたから今の富山があるんだと、感動すること間違いなしです。


2024年の年末、今年も実家の名古屋に帰省しています。普段なかなか帰れなくて、母が一人なので年末年始くらいは一緒に過ごそうと思っているくらいの軽い気持ちです。

ノリタケイオンモール

31日の大晦日、家にいても大して面白くないのと、かと言って年末でどこもほとんど開いていないので、数少ない開いている名古屋駅近くのイオンモールに行きました。このイオンはノリタケインモールとかいうのですが、食器メーカーの「ノリタケ」の工場跡にできたもので、さらに会社名の「ノリタケ」も、そこの地名の「則武」からとっているもので、名古屋の人にとっては昔から馴染みもある名前です。イオンモールの敷地の中には塔のような窯の跡があったりして、訪れるだけでも楽しいところです。

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「THE CITY BAKERY」でモーニング

イオンの開店は10時なのですが、入り口のところにあるカフェ「THE CITY BAKERY」はモーニングメニューがあり、朝かなり早くから開いています。自宅からイオンまでは市バスで一本で便利なので、あえて車で行かずにバスに乗って行きます。この日も9時前のバスに乗り、9時過ぎくらいには到着、早速モーニングの「CBブレックファスト」を注文。
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朝にしてはちょっと贅沢な値段なのですが、とにかく美味しいです。トーストもサラダのドレッシングも、厚くて大きいベーコンも、何気ないメニューなのですが、普段よく食べているガストのモーニングのよく似たセットとは、値段は確かに違いますが、満足度がもう全然違います。しかも、飲み物がおかわりできます。カフェオレのみ追加100円ですが、あとは無料。これもかなり嬉しいです。イオンの開店前なので、基本あまり混んでいないのもいいです。ここでイオンが開店した後もしばらく長居してのんびり過ごしました。


コニカミノルタプラネタリウム

その後少し買い物をして、3階のコニカミノルタのプラネタリウムへ。昼の12時半の回のチケットを取ります。

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ここができた頃の3年近く前にも一度このブログでもレポートしています。

ブログ記事にはしていないですが、実はその後何度か訪れています。

プログラム開始の10分前には中に入ることができます。この10分間のデモ映像も毎回楽しみで、この時間に流れる何気ない空の風景が実は一番満足できたりします。しかもこの時間帯のみは撮影可能で、なんとSNSとかで公開も可能です!この日は期待通りの、昼間に雲が流れる風景から、夕方だんだん暗くなり、星が見えるようになってきます。

この何気ない風景が、ここコニカミノルタプラネタリウムの独自のLEDが全面に張り巡らされた高輝度高コントラストで表現できる真骨頂で、雲が流れる空の臨場感や、夕暮れの少し寂しいような雰囲気は、流石に他の投影型のプラネタリウムではどうやっても味わうことができません。前回10月に訪れたときはこのデモの時間がハロウィン映像でスペシャルなものだったので、私的には少し残念でしたが、今回は普通の空で、この時点でかなり満足していました。

スマホで写したので連続の様子を載せておきますが、これは是非ともその場に行って味わって欲しいです。現在の技術でできる空のシミュレータという意味での、プラネタリウムの最高峰を体験することができます。

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「星とチルするプレイリスト」

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さて今回選んだプログラムの「星とチルするプレイリスト」ですが、とにかく素晴らしかったです。今回でここコニカミノルタは4回目なのですが、これまで見たプログラムの中で圧倒的に良かったです。

ネタバレになるのであまり書きませんが、とにかく星をじっくり見させてくれます。個人的には、天の川を含めた目で見えるような星空を、このハイコントラストの施設を使って、どこまで自然に見えるのかを確かめたかったということです。曲の選択もよく、曲に合った空を字幕で解説してくれます。解説も秀逸で、全体の雰囲気を壊すこともなく、天文好きな人が作ったことがよくわかります。このプログラムが一般の人にどこまで受けるのかはよくわかりません。でも星好きな人、プラネタリウム好きな人は本当に一見の価値ありです。

その上で、あえてコニカミノルタプラネタリウムさんに要望です。できることならプラネタリウムのシミュレータとしての表現を追求してほしいです。例えば朝まずめの空や、夕焼け、雲が流れる星空や、雷などです。彩度を無理に盛ったりすることなく、LEDが持っている輝度の最大限の表現で、日常にある何気ない空をそのまま味わいたいです。他にも、曇天からパーっと一気に星が見えるとか、雲に隠れてた満月が出てくるとかも見てみたいですし、皆既月食とか、果ては皆既日食の雰囲気まで再現できるならと思いますし、昼間の虹やただの雨、嵐とかも表現できるのでしょうか?

実は、この間の全国プラネタリウム研修会でコニカミノルタのプラネタリウムの関係者の方とお会いできたのですが、その時も同じようなことを伝えました。でも今回のプログラムを見た後だったら、今回の感想もお伝えできたので、今となってはそれがとても残念です。いのさんがXで「まだ機能の3割も使えてない気がしてます。」と言っていましたが、私も同じように思ってしまいます。普通のプラネタリウムでは表現できないようなことに是非とも挑戦していただきたいです。


名古屋のソウルフード「スガキヤ」

プラネタリウムを見た後は、モール内にあるフードコートにて、名古屋人のソウルフード「スガキヤ」のラーメンで昼食です。このご時世でも、大盛りで税込540円でした。
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スガキヤは幼稚園に入る前から行っていたことを覚えています。名古屋の西区にあったダイヤモンドシティーというショッピングモールに通っていたことがあり、その頃からたまに親がスガキヤに連れてってくれて、小さなお椀にラーメンを分けてもらって食べてました。そのころの値段が確か160円だったはずです。このダイヤモンドシティーも2000年代に入ってからなくなってしまったので、もう記憶の中にだけにある淡い思い出です。

大学受験のために浪人した頃もスガキヤによくお世話になりました。私は予備校に通わない自宅浪人で、昼間はずっと公立の図書館の自習室で勉強していたのですが、予備校が終わったくらいに友人が図書館に来て、「じゃあスガくか!」と言ってしょっちゅう行っていました。もう動詞になっていて、「スガかない、スガきます、スガく、スガくとき、スガけば、スガけ」と、カ行五段活用というわけですね。

フードコートの奥には有料のワーキングスペースがあるのですが、この日は年末でお休みでした。その代わりなのでしょうか、近くのテーブルには勉強とかしている人がいて、私もちょうどCP+関連でやりたいことがあったので、そこで少し長居してしまいました。帰りのバスの時間を調べてからフードコートを出たのですが、イオンが広くて迷ってしまい、目の前でバスが通り過ぎていってしまい、また少し時間を潰す羽目になりました。


今年もお世話になりました

昨日のアンドロメダの記事で年末最後にしようと思っていましたが、今回のプラネタリウムが素晴らしすぎて、今実家で紅白を見ながら記事を書いています。結局この記事が今年最後の記事になってしまいました。

前回の記事で今年お世話になった方々へのお礼を書くのを忘れていました。今年は体調を悪くしたので、随分とご心配をかけてしまったかもしれません。

一年間このブログを読んでくれた皆様、本当にありがとうございました。直接お会いできた方も、本当にお世話になりました。

また来年も、よろしくお願いいたします。

最近大きなことがいくつか重なり、なかなかブログが更新できていません。その大きなことの一つが、2024/12/16-18日に開かれた全国プラネタリウム研修会という集まりの中で、今年はたまたま地元の富山市科学博物館で開催ということで、電視観望の講演をさせて頂いたことです。とりあえず無事に終えて今はホッとしてブログを書いているのですが、でも今回のブログで書きたいことは、電視観望講演のことよりも、全国から集まってきているプラネタリウム関係者のことです。

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私がこの研修会に参加したのは二日目の12月17日だけなのですが、全国からプラネタリウムの関係者が100人程集まり、三日間の研修をフルで行うものです。プラネタリウム解説を始めた新人に近い方が約半分と、かなり若い人が多い印象でした。そもそも、プラネタリウムの解説や技術の向上を目指す研修で、一般の人には基本的に公開されないものなので、あまり詳しくは書きませんが、みなさん本当に真剣に研修に取り組んでいて、こういったプラネタリウム業界全体でのサポートと自己研鑽があって、全国的に高いレベルのプラネタリウム解説が保たれているのだと理解できました。

講演は二日目の午後からで、2部制になっています。第1部は今年2月に富山市科学博物館で行われた一般向けの特別イベントのダイジェスト版で、ある大型天文施設のドーム映像をプラネタリウムに映し出すというテスト的な試みで、臨場感あふれるものでした。第2部が電視観望講演についてです。最初は最近かなり数が出ていると思われるスマート望遠鏡の解説で、次に電視観望の技術などについて、その中で今回の参加者の所属施設に大型望遠鏡があるならぜひともCMOSカメラをつけてみてくださいという内容です。観望会などで電視観望をどう見せればいいか、プラネタリウムに表示しても面白いというような話もしました。技術的な話も多かったので、後日スライドを関係者に配布してもらうことにしました。講演の最中にスライドをスマホやデジカメで撮影している方も多く、予めお伝えしておけばよかったです。

講演が終わってから時間があったので、少し研修の様子を見学させてもらうことができました。研修は3グループに分かれていて、その中でも面白かったのがプラネタリウム解説員として新人さんが集まるグループの研修でした。ちょうど覗いたのが悩み相談室のような時間帯で、解説で不安なことやうまくいかないことなどを話していました。例えば、天文とは全然別分野の動物園から転職してきてプラネタリウムの解説をどう学べばいいのかとか、笑いを取れるネタを知りたいとか、プロの解説員と成長していく皆さんが、それぞれ真剣に悩んでいました。その相談の答えの中に一つ面白い話があって、解説の最後に「ありがとうございました」と言わないようにしているらしいのです。「ありがとうございました」と言ってしまうと拍手が起こるらしく「解説者はあくまで解説者、お客さんから感謝される立場ではない」ということで、こんな発言にもやはり解説のプロとしての矜持が感じられました。

今回は公共施設の学芸員さんが多いのですが、でもそれだけではなく民間のプラネタリウムの解説員さんも参加されているようです。例えば以前訪れた大阪の星カフェSPICAの店長さんも来ていて、ブログ記事を書いた私のことも覚えてくれていました。

今回の参加者層とよく似た集まりに、実は以前参加したことがあります。2022年島根で行われたJAPOS (日本公開天文台協会)の全国大会で、今回と同じように電視観望について講演させて頂いた時です。この時実感したことは、我々アマチュア天文家も観望会などで一般の人に関わることはあるのですが、公共天文台で働く方達は我々なんかよりも、はるかにはるかに一般の方達に天文で関わることが多いということでした。そして学芸員の方達はアマチュアと研究者の間のような存在であるということも少し思いました。というより、その時までは一般の人、アマチュア天文家、研究者という3つの層は認識していたのですが、私自身が学芸員という伝えるプロの、しかも非常に重要な役割を果たしている層の存在をあまり認識できていなかったのです。今回参加させて頂くことも、普段あまり話すことができない層の方達がたくさん集まるので、とても楽しみだったのです。

今回は2年前の島根の時に加えて、もう一つ気づかされたことがあります。夕方から行われたパネルディスカッションというのがあったのですが、その時に最後に出てきたある若い女性の方からの質問にとても考えさせられました。質問は「どうして私たちは宇宙のことについて話さなければならないのでしょうか?」というようなことでしたが、そもそもこの質問の捉え方自体、人によっても立場によっても違うのかと思います。「宇宙のこと」に重きを置くのか、「話さなければ」に重きを置くのかで、答えも変わってくると思います。後から聞いたらこの方は今年入ったばかりの本当に新人の方で、真剣に悩んで考えているようです。

この質問に関して考えることがさらに続きます。この日の行事が終わってから、駅前で飲み会になったのですが、私はできるだけ若い方と話したいと思っていて、そうしたらちょうど悩み相談で動物園からプラネタリウム解説員になったという女性の方の隣の席になりました。当然の如く「なんで動物園からプラネタリウムに?」と尋ねてみたのですが「動物園は命の大切さを伝えてきたが、それだけでなく子供達に何かをもっと伝えたい」というような答えだったと思います。私がいたテーブルは他も若い方が多く「プラネタリアンが狭き門」とかの話題もありましたが、いずれも「話す」ということに関連した話題が中心でした。

パネルディスカッションでの質問と、この飲み会での話題ではたと気づいたのは「あ、この人達は話すこと、伝えることのプロなんだ」ということです。もちろん天文施設関連の方達なので宇宙や星のことが好きな人が多いです。でも、必ずしもそうでもない人もいて、いずれにしても「人に伝えること、解説すること」を生業としているということです。アマチュア天文家は基本的には星が大好きで最優先な人ばかりです。私は普段そういう人達とばかり付き合っているので、この日話したことは普段とは違った観点から考えることができ、とても興味深く、私自身とても勉強になりました。天文人口の裾野を広げたいと常々思っているのですが、今回参加したことは今後の自分の考えに少なからず影響すると思います。その意味でもとても有意義でしたし、何より皆さんとの交流がとても楽しかったです。

飲み会が終わって23時頃に店を出ると、一部別の参加者と合流しました。なんと3つの研修グループのうちの一つのグループの方達で、今の今まで研修していたとのことです。明日が最終日で、研修の課題で盛り上がって全然時間が足りなかったとのことです。すごい研修会で、本当に頭が下がる思いでした。

今回は目的が研修ということなので、それぞれの施設の中でも比較的新人に近い方達が来ているとのことですが、業界の中でこれだけの人数の若い方がいるということ自体、ちょっと羨ましかったです。初参加の方も多く、お互いのことはあまり知っているわけではなく、今回の研修で初顔合わせの人がほとんどとのことです。このような研修と地元に帰ってからの実務での研鑽で、プロの解説員として育っていくのでしょう。皆さんの今後の活躍がとても楽しみで、機会があれば全国の各地のプラネタリウムをまた回ってみたいと思います。


関東方面に行く機会があったので、青梅にあるマイコン博物館に行ってきました。


マイコン少年時代

今回の記事は天文とは全然関係ありません。過去の別の趣味の話、と言っても少年時代の趣味になります。このブログでも何回か書いているかと思いますが、子供の頃の私はマイコン少年でした。きっかっけは小1の頃から愛読していた「コロコロコミック」の姉妹誌で、小3の頃に創刊になった「別冊コロコロコミック」に載っていたマイコン特集です。当時「ゲームセンターあらし」という連載をしていたすがやみつる先生がマイコン好きで、特集を組んでいたのかと思います。別コロには同じすがやみつる先生の「マイコン電児ラン」というマンガも連載されていました。確か小4の10月か11月くらいだったと思いますが、特集記事に小さなBASICのプログラムが載っていて、それを近所にあったジャスコの電気屋さんで、わけもわからず打ち込んだのが最初だったと記憶しています。何度かのエラーのあと、うまく動いたのですが、命令してその通りに動くということに感動したことと、逆に命令通りにしか動かないということを実感しました。初めて触ったマイコンなので機種は覚えていませんが、形から言ったらSHARPのMZ系だったのではないかと思います。

当時は電気屋さんがかなり解放されていて、何台もあるマイコンを自由に触ることができました。売り込みの意味もあったのかと思いますが、データレコーダーも置いてあり、そこで自分で打ったプログラムをカセットテープに保存して、そこに集まったマイコン仲間と交換とかもできました。私がよく通っていたのは当時の名古屋にあったカトー無線と栄電社です。性格上昔からそうだったのですが、この時もやっぱり夢中になりすぎました。一番酷かったのは小5の夏休みでした。午前が水泳部で、泳いだ後に疲れているはずなのにそんなことは全く気にせず、夏休みのほぼ毎日電気屋さんに通うという偉業を成し遂げました。これを見かねた親が、さすがにそこまで好きなら仕方ないと言って買ってくれたのが、当時まだ出たばかりのPC-6001 mkIIでした。専用モニターとデータレコーダーのフルセットでした。その後のコンピューター遍歴は中1で中古のFM-NEW7、中3で親が買ったはずのPC-9801VM21を結局占有したところくらいまででしょうか。高校時代はコンピュータから少し離れて、その後大学に入るときにDOS/V機を手に入れてからまたハマるのですが、ここら辺の話はまたいつかできればと思います。とにかく、今回のマイコン博物館の訪問はその子供の頃の記憶を辿るような経験で、最初に買ったPC-6001 mkIIが中心の記事になります。


マイコン博物館

マイコン博物館を見学するためには、あらかじめ予約が必要になります。このページの下の方に記入して申し込みます。


しばらくすると、予約が完了したとのメールが来るので、それで予約確定ということになります。予約完了メールの内容はとても親切で、電車もしくは車での行き方が詳しく書かれているので、迷うことはないでしょう。入館料は1000円、「動体展示」と言って今でも動く機種に触る場合は3000円とのことです。


青梅駅に降り立つ

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事前の用事が長引いてしまい、青梅駅に降り立ったのはもう午後4時に差し掛かる頃でした。青梅は学生の頃に旅行で駅に降りた覚えがあるので、もう30年ぶりくらいです。改札は一つしかないので、出口に迷うことはありません。その旨も予約完了メールに書いてあります。改札を出て、右手に見えるセブンイレブンの脇の道を進みます。
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道なりに100mほど進むと左手にコインパーキングが見えてきます。車で来た際はここを利用するといいとのことです。
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コインパーキングの中に入っていき、そのまま通り抜けた先のビルにマイコン博物館があります。
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ここはビルの裏口にあたり、写真にも写っている通用口から入りますが、鍵がかかっている場合は「マイコン博物館」と書いてあるベルを鳴らすと、まもなくスタッフの方が出迎えてくれます。
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いよいよ中へ

到着が予約時間より少し遅くなってしまって申しわけなかった旨をお伝えして、中に案内されました。このビルの1階から3階がマイコン博物館と併設する「夢の図書館」なのですが、現在はマイコン博物館のみオープンしていて、夢の図書館はリニューアル中とのことです。マイコン博物館は2Fになります。荷物はロッカーに入れるといいのですが、ロッカーが早速凝っていて、それぞれにCPUの名前がテプラでつけれらています。
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私は最初それに気づかずに適当な「TLCS-12A」とうところに入れてしまいましたが、後から聞いたら東芝が開発したCPUだそうです。混んでいるときにはどこに入れるかで取り合いになるとか。


金個室の中は

博物館の中の機器は年代順に並べられているそうです。

もともとこの博物館は銀行だった場所に作ったとのことで、当時の金庫部屋がのこっています。最初に案内されたのはその金庫部屋で、マイコンになる前の時代の機器が集められた小部屋でした。初期の計算機につながったのは、タイプライターを開発していた会社だそうです。
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写真の棚の中段に見えるのが、ルパン三世が使っている銃で有名な、ワルサー社の回転式計算機で、タイプライターも作っているとのことです。ワルサーP38のモデルガンも置いてあります。上段に見えるのがコルト社のタイプライターです。コルト社もピストルを作っていて、戦後日本の警察でも採用されていて、インターポールの銭形警部がこの銃を持っているのはおかしくないとのことです。いずれもアメリカの会社で、タイプライターと銃が結びつくのが少し不思議ですが、初期の計算機は軍事と密接に関連しているので、繋がりが深いのかもしれません。

マイコン前の計算機の時代では、下の写真のようにキーボードにsinやcosなどの関数などを割り当てていたようで、こういったものを見ると、タイプライターと初期計算機との関係がすこしわかるかもしれません。
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そもそも、コンピュータのことを今でも時々計算機と言いますが、昔のホビーマイコンを見ていてもそうですし、そのさらに前の時代では本当に計算機という言葉が似合います。例えば、博物館の中に弾道軌道の計算表が分厚い本になって置いてあったのですが、これらの計算を担うと考えたら、やはり計算機という意味合いなんですよね。ホビー方面にも進化したのは、計算だけにとどまらない応用ができるくらいに進化したということなのでしょう。

この部屋は小さいですが、ブログでは紹介しきれないくらい面白いものがたくさんあります。この時代のことを知っている人はもうかなり少ないと思うので、是非とも実物を見て、できるなら解説付きで案内してもらえるといいのかと思います。私が行った時は見学者は私一人だったので、親切に解説していただきました。


メインの部屋へ

メインの大部屋に移ります。この部屋では列ごとに年代順になっているとのことで、最初の列は1970年台です。私はまだ生まれていないか、小学生の低学年くらいまでで、ほとんどのものは実機を見たこともなければ、型番を聞いてもあまりわからないものが多いです。その中でも、最初に展示してあるものはここに来る人なら誰でも知っているはずの、Apple Iです。と言ってもここにあるのは復刻版だそうで、そのためきちんと可動する!とのことです。ちなみに今調べてみたら、オリジナルのApple Iの可動品は世界で10台程とのことで、eBayで150万ドル(今のレートだと2億円以上)で出品されたこともあるそうで、さすがにオリジナルを手に入れるのは難しいですね。
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他にもALTAIR社の8080など、フロントパネルでスイッチをパチパチするタイプのものがありましたが、実は私はこのタイプをどうやって使っていたか知らなくて、その場でビットごとにスイッチを入れて記憶していくと説明を受けました。
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1970年台後半には、Apple IIも置いてあります。この時代のもう一つの目玉はTK-80関連でしょうか。これも私は直接は触ったことがないですが、ホビーマイコン直前の大ヒット商品として有名ですね。ここではTK-85がフルセットで置いてありましたが、実は私は85の方はほとんど知りません。80のバージョンアップ製品のようです。
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1970年台の一番最後にはPC-8001が申し訳程度に置いてありました。発売が1979年なので確かにこの列にあるのは正しいのですが、あまりに雑な扱いです。
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と思って、次の1980年台の列に行ったら、純正フロッピードライブとデータレコーダーと共に、もっとしっかりしたセットが数台置いてありあました。確かに、PC-8001がメインで活躍したのは1980年に入ってからですよね。
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2台目に買ったFM-NEW7

ここからは私にとって馴染み深いマイコンがたくさん出てきます。まずはFM-7です。列に並んでいたわけではないですが、途中のベットテーブルの上に置いてあり、目についたので写真を撮っています。
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私は中1の結構最初の方に2台目のマイコンとして、中古のFM-NEW7を買っています。まだ土曜日が学校も休みになっていない時代のある土曜日のことだったと思いますが、中1の当時まだ大学を卒業したばかりの新任の若い女の担任の先生に「今日新しいコンピュータを買いに行くんだ」と言って、嬉しそうにはしゃいでいる場面をはっきり覚えています。FM-NEW7はFM-7の廉価版で、機能はほぼFM-7と同等です。今調べたら発売開始が1984年5月とあるので、1年ちょっと経った中古を購入したことになります。当時は雑誌が唯一の情報源で、広告欄を食い入るように見て、お年玉とかを貯めた貴重なお小遣いなので少しでも安いところを探し、結局コムロードというお店で買ったと記憶しています。対抗馬としてPC8801がかなり魅力的でしたが、価格的には全然自分で買えるようなものではなく、200ラインでしたが、6809の魅力もありFM系に決めました。それまで使っていたZ80系とは違いますが処理的にも早く、たとえPC8801は買えなくても、PC8001にするよりはFM7系だろうと当時考えていました。スタッフの方によると、FM-NEW7もこのマイコン博物館のどこかにあるはずだとのことでしたが、残念ながらメインの展示の中には見つかりませんでした。

年代的に少し前後しますが、FM-8もありました。8とついているので7の後に出たかと思われがちですが、発売は1981年5月と、FM-7の1982年11月よりも1年半ほど早いです。私はFM-8自身にはさわったことがなかったですが、FM-8の優れた設計はFM-7に引き継がれ、テンキーの真ん中を押さないとキャラの移動が止まらないという欠点も含めて、富士通の当時の思想に共感したものです。
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東芝パソピア

もう一つ私の今の人生に大きく関わった機種を紹介しておきます。東芝のパソピアです。7の方ではなく、ただのパソピアです。というのも、まだ自分でコンピュータを手に入れる前、多分小4の冬くらいから小5の初めくらいだと思うのですが、自転車で15分くらいの親戚の家に入り浸っていました。母の姉の旦那に当たるのですが、親戚の中でも数少ない理系のおじさんで、当時のナショナルに勤めていていて、それでいてなぜか東芝のパソピアを自宅に持っていました。パソピアは後のパソピア7のようなホビーパソコンというよりはもう少し仕事向けでした。それでもジョイスティックを買ってあったりして、子供だった私やいとこにパックマンのようなゲームやオセロなどをさせてくれた覚えがあります。いとこは女の子二人の姉妹だったので、当然コンピュータに興味なんか持つわけもなく、その分興味を持った私がかわいかったのでしょうか、使っていない時はいつでも使っていいよということで、暇さえあればそれこそ平日でも押しかけていました。最初のBASICの基礎はここで学んだはずです。returnの綴りを口で呟きながら自転車で自宅まで帰ったことをいまだに覚えています。この時の時間を忘れてコンピューターに触れる経験はとてもありがたくて、叔父にはいまだに感謝しています。マイコン博物館に展示されていたものは当時のままの特徴のある赤と緑のキーボードで、とても懐かしかったです。そういえば、当時ROMカートリッジもたくさんあったので、かなりお金をかけていたと思われます。
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80年台まだまだ続きます

1980年台と言っても、よく知っている機種はもちろんたくさんあるのですが、あまり知らない機種も結構ありました。多少なりとも知っているものはPC6001、PC-8001、PC-8801、初代PC9801、FM-7と8、パソピア、松下のJR-100、シャープのMZ-80系、1200、2000(多少触ったことあり)、日立のベーシックマスターレベル3、Jr.(名前だけで触ったことなし)、三菱のMULTI16 (ホントに名前だけ)などです。そうそうIBM PCも置いてありました。オリジナルを見るのは初めてだと思います。
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あまり知らないものとしては、撮った写真に型番が写っているものだけでも、Commodore 8096-SK、Apple III(Apple IIまでしか記憶になかったです)、KYOCERAのM203 mark III (検索しても出てきませんでした)、BUBCOM80(富士通で製作され、FM-8にちょっと似ているZ80を使ったバブルメモリが使える機種らしいです)、Osbone Executive、Bondwell Portable Computer Model 12などです。多分ホビーの範疇ではないので、小中学生だった私にはほとんど知らない世界でした。

1980年台を繋ぐ間のところには、Commodore 64、CASIOのFP-1100やここで展示用のFM-7があり、さらにはシャープの初代X1もあります。最上段はぴゅう太ですね。友達がもっていて、カタカナベーシックは当時も多分今でもインパクト大だと思います。
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1980年台の2列目になるともっと馴染みが深くなります。目玉はLisaでしょうか。Lisaを知らない方もいるかもしれませんが、これは今のMacの大元のようなもので、1983年当初でGUI操作を実現していました。このマイコン博物館で改めて知ったことは、キーボードがきちんと日本仕様になっていたこと、下の段にはLisaの裏蓋が開けられているものがあり、中身まで覗けることです。
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他にもMZ−700、SONYのSMC-70、Apple IIe、NECのハンドヘルドコンピュータPC-8201、同じNECでPC-8001mkII、PC-6001mkII、NECブランドの京セラの名器PC-100、パソピア7、IBM系列ではXTとAT、さらには互換機のCompaqの初代機Portableも置いてありました。富士通はFM-11、SHARPはX1 turboまで進んでいて、MZでは全く記憶のない6500とかもありました。PC-9801はMまで進んでいます。


思い出のPC-6001mkII

さて、この日のメインのPC-6001mkIIです。これは初めて手に入れたコンピューターで、小学生ながらにかなりしゃぶり尽くしました。最初の頃はゲームをしたりプログラムを打ち込んだりでしたが、小6の時に「PC-Techknow テクニカル ノウハウ集」という専門誌に近いような本を買ってから状況が大きく変わりました。当時の値段は覚えていませんが今調べたら2500円でした。小学生が普通に買える値段の本ではなく、多分当時の栄電社に置いてあったと思うのですが、中身を見てどうしても欲しくなり、おじいちゃんにねだった覚えがあります。中身は技術的な情報が満載で、例えば打ち込んだBASICは中間言語という形に置き換えられて保存されているとか、listコマンドで見えないリストはなぜなのかとか、当時の私の拙い知識で理解できる範囲だけでも、後の理系人生を決定するほどの大きな勉強となりました。最近PC-TechknowのPC8801版は手に入れたのですが、PC6001版はいまでも手に入れられていません。

そんな話をスタッフの方と話していたら、なんとPC-6001mkIIの電源を入れてくれることに。モニターケーブルも探してきてくれて、モニターとの接続がRFではなくてデジタル信号だったことも思い出しました。デジタルだと、PC6001時代のRF出力の色ズレを利用してカラフルになるゲームが、mkIIだとうまく色がつかないんですよね。

ドキドキしながらPC-6001mkIIの電源を入れると、見事に立ち上がりました。文字に少し赤のズレがありましたが、記憶では真っ白だったはずなので、流石に経年劣化でしょう。垂直水平動機があったのを思い出しましたが、調整では直らなかったです。
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せっかくなので5つ目のN60m BASICを立ち上げます。ご存知の方も多いかと思いますが、このmkIIは「しゃべり」ます。talkコマンドを思い出しつつ試しますが、どうも声が出ません。裏のつまみで音量が調節できたはずなので回してみたり、playコマンドも試したのですが音が鳴らないので、どうやらスピーカーが壊れているみたいです。耳を近づけて注意深く聞いてもノイズ音も何もしなかったので、スピーカーに電流が入っていないような感じでした。簡単なBASICは動かせましたが、昔みたいにサクサクはいかないです。考えたら最後に触ってからもう30年近く経っています。私のPC-6001mkIIはキーボードが接触不良で徐々に使えなくなってきてお蔵入りさせてしまいました。博物館のものはキーボードもストレスなく打てます。スピーカーも直せば使えるかと思います。こんな状態で残っているのがとにかく感動でした。

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マニュアルも当時のままで残っていたので、中を見てみました。そういえば昔のマニュアルは、技術情報まで詳しく書いてあったことを、改めて思い出しました。しかも、例えば音の出し方とかもきちんと周波数ベースで書いてあったりして、小学生の当時理解できなかった部分も今見るとさすがにわかります。これは結構感動でした。
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今この時代のマイコンを触るんだったら、完全分解とかになるかもしれません。多分この規模だからそんな気になるんだと思います。キーボードの下に本体が入っているというのも、今から見るとずいぶんコンパクトな感じがします。個人で全部を把握できるくらいの規模のコンピューターがホビーベースで存在したのは、1975年から1985年くらいの、せいぜい10年程度の間だと思います。それ以降は徐々に複雑になっていき、メモリ空間を全部把握するとかも困難になってきます。ある時期のみに現れた、非常にいい教材だったのではないでしょうか。

惜しむらくはもう少しだけ早く生まれていれば、もっと楽しめたはずなのにと今でも思います。そういえば当時は年上の人たちとばかりつるんでいました。P6仲間だった1個上のヤマケンやゴッちんやクッさんやドラ、FM7仲間だった4つくらい年上のS兄ちゃん、みんなどうしてるかなあ?などなど、もういろんなことを思い出してしまいました。またいつか時間のある時にマイコン博物館を訪れて、今度はFM7も含めてじっくり触りたいです。


その後の年代

まだここから1990年代とかもあるのですが、これ以降は私の中ではかなり新しい部類になってきます。iMacは色違いでたくさんあります。注目はNeXTSTEPでしょうか。大学院時代に少しだけ触ったことがあって、カラーだった記憶があるのですが、ノーマルではモノクロだったそうです。
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1階と3階も見せてもらえることに

青梅駅で18時には電車に乗りたかったので、滞在は2時間弱と短かったですが、とても充実していました。帰るときに、3階の倉庫と、1階の夢の図書館の現状も見せていただきました。3階には飛行機などのラジコン模型もあり、さらに拡充していくみたいですが、それ以上にまだまだ未整理のコンピューターが箱に入って山ほどありました。

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聞いたらスタッフは3-4人程とのことなので、一つ一つチェックするのが大変だそうです。動かせるように修理などもしているとのことで、できれば私も手伝いたいくらいです。夢の図書館の方もリニューアルにはまだかかりそうとのことで、以前使っていたロッカータイプの書庫から全て雑誌などを出して、段ボール箱の中に詰め替えたものが山積みになっていました。

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ちょっとだけ天文

そうそう、せっかくなので天文関連話を。今回のことをブログの記事にしていいか聞いた際に、今の趣味は天文だという話になりました。すると、館長さんがなんと昔6インチの望遠鏡を自作したことがあるとのこと。観望会という言葉も出ていて、以前は天文少年だったみたいです。その流れで「天リフさんも以前来てくれましたよ」と聞いてさらにびっくりです。そういえば天リフの特集で夢の図書館来たという記事を見たことを思い出しました。天文ガイドのINTERACTIVEがキッカケで夢の図書館を訪れたという内容で、その後私もINTERACTIVEを全巻お借りすることができたので、記憶の隅に引っかかっていました。


是非とも訪問してみてください

今回は私の小さい頃の思い出という視点からマイコン博物館の訪問記を記事にしましたが、ここに来れば誰もが自分自身の当時の思い出に存分に浸ることができるでしょう。マイコンという分野はアメリカを端にしていますが、間違いなく当時の日本独自の文化というものが存在したと思います。その文化の一端に、実際の機器通して触れることができる貴重な場所です。写真もたくさん撮りましたが、とてもじゃないですがここだでは紹介しきれません。是非とも現地に行って自分の目でご確認ください。

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