2025年3月30日、富山にある射水市新湊 (しんみなと) 博物館の「天空展」に行ってきました。これは私が所属するアマチュア天文グループの富山県天文学会(通称「県天」)の写真展で、私も2点ほど展示させて頂いています。
この日は天空展の企画の一環で、同じ県天メンバーの方の講演があって、「星空に魅せられて」というタイトルでアマチュア天文家の天文愛を一般の方にとてもわかりやすく伝えていました。
来ていたお客さんは63人だったそうで、決して大きくない部屋に、最初立ち見で人が溢れていて、急きょ椅子を大量に出していて、ぎゅうぎゅう詰めでみんな座れたイメージです。その中で県天メンバーはせいぜい10人くらいだったので、基本的に一般の方が多くて、それに相応しい話の進め方で、とても参考になりました。
講演前に時間があったので、展示室を見学しました。
博物館は展示室が3つあって、1つ目がおそらく一般にある博物館のイメージの部屋で、射水市の歴史や文化などが展示されています。2つ目の部屋はテーマが測量で、和算を含めた数学的な展示が中心になっています。3つ目が天文関連です。博物館としては珍しく、何と2/3が理科系の展示になっています。
正直いうと、1つ目の部屋は私的にはあまりインパクトがなく、一番印象に残っているのはジオラマで、田んぼの間を船で移動するというような、日本昔ばなしのおとぎの国への合言葉が相応しいような風景でした。例えば射水市の内川という地区は日本のベニスと謳っているくらい、射水地域は昔から水と共に暮らし、水に悩まされてきた地域だそうです。
普通の見学のように一つ目の部屋を通り過ぎたのですが、2つ目の部屋は最初から興奮気味でした。(今回掲載した写真は、博物館のスタッフの許可をとって撮影し、ブログに載せることを了解していただいています。)
最初は古地図だったのですが、今の富山でもよく知っている地名が所々に見られます。例えば国道41号線は富山の真ん中を突っ切っていて、今は名古屋まで通じているのですが、この道は私もよく通ります。古い地図を見ていると、今でも駅名クラスで残っているメジャーな地名と、地元の人くらいが知っている地名、消えてしまったようで私も知らない地名など、今と比べるととても面白いです。
入り口の地図のところを通り抜け、途中から本格的な測量の展示になります。
越中の偉人として石黒信由という人がいて、江戸時代に有名な数学者の関孝和の関流に師事し、第六伝という免許皆伝に至った人の功績を紹介しています。石黒信由はこの博物館の場所からわずか何百メートルか離れたところの出身で、彼の功績を伝えるために地元に博物館を作ろうということで、この場所に建設されたとのことです。
石黒信由の人柄などを説明することもそうなのですが、むしろどんな数学やどんな測量をしてきたかという観点から展示されているのが、博物館らしくなくてとても面白いです。例えば下の写真の円と三角形の関係など、すでに三角関数を多用してきたこともわかります。この図を見てるだけでも、今の数学で残っている用語もあれば、消えてしまった用語もあります。なぜ消えてしまったのか、数学的な意味はどうあったのかなど、ここだけでもじっくり時間を過ごすことができます。
江戸時代に正確な日本地図を作った伊能忠敬が富山に来た時には、石黒信由と実際に会っているとのことです。当時の石黒信由率いる富山の測量技術は伊能忠敬らの測量技術よりも優れたろこともあったと言われるほど高度だったようで、同じ道を目指す同士で相当語り合ったらしく、さぞかし盛り上がったのではないかと想像します。私も天文好きの人と話すとものすごく盛り上がるので、なんかよくわかる気がします。
展示物の中には、測量に使った車を再現したものが何気に展示されていたりします。話を聞くと、実際に当時使われた歯車だけを元に、現代に車型の測量器を再現してしまった人がいて、それが何と富山県天文学会の今の会長とのことです。
他にも、離れた場所の水平を測定するのに、木で作った水に浮かべる基準のようなものを再現したというのですが、残っている当時のものと同じものを作ると、木の上につけた部分が重くてそもそも水に浮かばないというのです。距離測定の車も歯車部分しか残ってなかったとのことなのですが、もしかしたらと言う時の技術が漏れないように、後に伝わっているものと当時の機器には違いがあるのかもしれません。そんな想像をするだけでも、いろいろ考えさせられます。
他にも、軸心磁石盤と呼ばれる銅でできた測定器が展示されているのですが、銅器製作が専門の方に依頼して分解したところ、中から銘が出てきて、今でも銅で有名な富山の高岡で製作されたことがわかったとのことです。
この銅の専門家というのも、県天メンバーとのことです。富山県天文学会はすごい人達がいるグループなのだと改めて実感しました。
地元の博物館で、地元のそれぞれの専門家が携わって検証していく話なんかは、地元にいないと絶対聞けないので、もう感心するやら感動するやらで、とても充実した見学になりました。
博物館の方に、今回あまりに面白かったことを興奮交じりに伝えたら、資料をいくつか頂くことができました。この資料も読み始めているのですが、かなり面白くて、今の数学と同じようなところもあれば、全く違った発想のところもあります。この頃の測量は天文学にも相当通じるところがあり、現代の観望会で子どもたちに話すネタにも繋げることができそうです。
そうそう、肝心な第3展示室の天体写真展のことを書くのを忘れていました。この展示室は2つに分かれていて、前半が常設展で、後半がイベント用の部屋となっているようで、今回の天空展は後半の部屋で開催されていました。県天メンバーが撮影した写真が壁にたくさん飾られています。彗星の写真に、星景写真、星雲などです。
この中には、前会長が撮影した写真と、さらに前々会長が撮影した写真が展示されていました。お二人とも故人なのですが、ご家族の方がいらしていて少しお話しすることができました。私が星を始めてすぐのころに、地元の星見場所の牛岳というところで前会長に誘われて県天に入会しました。それがあって今ここにいるので、ご家族にも感謝とお礼を伝えることができました。前会長は晴れていれば必ず星見に出るような人で、家族にそのことを聞いたら、やはり全く同じ認識だったようです。博物館方の方に頂いた石黒信由の解説本の中に、西村太沖という天文学者が出てきて、加賀藩の天文学の講師の仕事をほったらかして故郷の城端(じょうはな)に帰って、自宅の屋上に天文台を作って毎晩天体観測をしていた人の話が出ていたのですが、江戸時代でも現代でも、好きなことにのめり込む人はいつの時代でも一緒だと、少し前会長と重ねてしまいました。
この「天空展」にはニュートリノ検出や重力波検出の展示も少しあり、近辺にある研究施設の地元で展示解説という位置付けなのかと思います。
今回の写真展のテーマは「面白い名前の天体」と聞いていたので、私は「イルカ星雲」と「スパゲティ星雲」を提供しました。写真的には他にも候補はあったのですが、今回はホントに名前だけで選びました。
そうそう、この日は珍しく妻が一緒についてきて、普段あまり星に興味がないのに、講演も、その後の天体部屋の解説も面白そうに聞いていました。写真展では、私のスパゲティ星雲を見た時「心臓みたい」と呟いてました。なるほど、赤が動脈で青が静脈と考えると、形から言ってもスパゲティというよりはリアルな心臓に近いと私も妙に納得しました。ハート星雲の名前はこのSh2-240に譲るべきかもしれません。いや、ハートと言うとハートマークの印象の方が強いので、Heart星雲か、ズバリで心臓星雲でしょうか。
その後、妻は第2展示室の和算も面白いと言っていました。少なくとも妻が理系人間でないのは知っているので、何が面白いと思ったのかは私には理解できなかったのですが、理系に限らず文系寄りの人にも面白いと思える何かがあって、それが伝わるのかもしれません。
講演会を聞きに
この日は天空展の企画の一環で、同じ県天メンバーの方の講演があって、「星空に魅せられて」というタイトルでアマチュア天文家の天文愛を一般の方にとてもわかりやすく伝えていました。
来ていたお客さんは63人だったそうで、決して大きくない部屋に、最初立ち見で人が溢れていて、急きょ椅子を大量に出していて、ぎゅうぎゅう詰めでみんな座れたイメージです。その中で県天メンバーはせいぜい10人くらいだったので、基本的に一般の方が多くて、それに相応しい話の進め方で、とても参考になりました。
2つ目の展示室が面白い!
講演前に時間があったので、展示室を見学しました。
博物館は展示室が3つあって、1つ目がおそらく一般にある博物館のイメージの部屋で、射水市の歴史や文化などが展示されています。2つ目の部屋はテーマが測量で、和算を含めた数学的な展示が中心になっています。3つ目が天文関連です。博物館としては珍しく、何と2/3が理科系の展示になっています。
正直いうと、1つ目の部屋は私的にはあまりインパクトがなく、一番印象に残っているのはジオラマで、田んぼの間を船で移動するというような、日本昔ばなしのおとぎの国への合言葉が相応しいような風景でした。例えば射水市の内川という地区は日本のベニスと謳っているくらい、射水地域は昔から水と共に暮らし、水に悩まされてきた地域だそうです。
普通の見学のように一つ目の部屋を通り過ぎたのですが、2つ目の部屋は最初から興奮気味でした。(今回掲載した写真は、博物館のスタッフの許可をとって撮影し、ブログに載せることを了解していただいています。)
最初は古地図だったのですが、今の富山でもよく知っている地名が所々に見られます。例えば国道41号線は富山の真ん中を突っ切っていて、今は名古屋まで通じているのですが、この道は私もよく通ります。古い地図を見ていると、今でも駅名クラスで残っているメジャーな地名と、地元の人くらいが知っている地名、消えてしまったようで私も知らない地名など、今と比べるととても面白いです。
入り口の地図のところを通り抜け、途中から本格的な測量の展示になります。
越中の偉人として石黒信由という人がいて、江戸時代に有名な数学者の関孝和の関流に師事し、第六伝という免許皆伝に至った人の功績を紹介しています。石黒信由はこの博物館の場所からわずか何百メートルか離れたところの出身で、彼の功績を伝えるために地元に博物館を作ろうということで、この場所に建設されたとのことです。
石黒信由の人柄などを説明することもそうなのですが、むしろどんな数学やどんな測量をしてきたかという観点から展示されているのが、博物館らしくなくてとても面白いです。例えば下の写真の円と三角形の関係など、すでに三角関数を多用してきたこともわかります。この図を見てるだけでも、今の数学で残っている用語もあれば、消えてしまった用語もあります。なぜ消えてしまったのか、数学的な意味はどうあったのかなど、ここだけでもじっくり時間を過ごすことができます。
江戸時代に正確な日本地図を作った伊能忠敬が富山に来た時には、石黒信由と実際に会っているとのことです。当時の石黒信由率いる富山の測量技術は伊能忠敬らの測量技術よりも優れたろこともあったと言われるほど高度だったようで、同じ道を目指す同士で相当語り合ったらしく、さぞかし盛り上がったのではないかと想像します。私も天文好きの人と話すとものすごく盛り上がるので、なんかよくわかる気がします。
展示物の中には、測量に使った車を再現したものが何気に展示されていたりします。話を聞くと、実際に当時使われた歯車だけを元に、現代に車型の測量器を再現してしまった人がいて、それが何と富山県天文学会の今の会長とのことです。
歯車だけから再現した距離の測定器。手前の白い丸はカウンターです。
他にも、離れた場所の水平を測定するのに、木で作った水に浮かべる基準のようなものを再現したというのですが、残っている当時のものと同じものを作ると、木の上につけた部分が重くてそもそも水に浮かばないというのです。距離測定の車も歯車部分しか残ってなかったとのことなのですが、もしかしたらと言う時の技術が漏れないように、後に伝わっているものと当時の機器には違いがあるのかもしれません。そんな想像をするだけでも、いろいろ考えさせられます。
他にも、軸心磁石盤と呼ばれる銅でできた測定器が展示されているのですが、銅器製作が専門の方に依頼して分解したところ、中から銘が出てきて、今でも銅で有名な富山の高岡で製作されたことがわかったとのことです。
これは展示物とは違いますが、
職員の方が別途ヤフオクで落札した軸心磁石盤とのことです。
職員の方が別途ヤフオクで落札した軸心磁石盤とのことです。
この銅の専門家というのも、県天メンバーとのことです。富山県天文学会はすごい人達がいるグループなのだと改めて実感しました。
地元の博物館で、地元のそれぞれの専門家が携わって検証していく話なんかは、地元にいないと絶対聞けないので、もう感心するやら感動するやらで、とても充実した見学になりました。
博物館の方に、今回あまりに面白かったことを興奮交じりに伝えたら、資料をいくつか頂くことができました。この資料も読み始めているのですが、かなり面白くて、今の数学と同じようなところもあれば、全く違った発想のところもあります。この頃の測量は天文学にも相当通じるところがあり、現代の観望会で子どもたちに話すネタにも繋げることができそうです。
天体写真展の様子
そうそう、肝心な第3展示室の天体写真展のことを書くのを忘れていました。この展示室は2つに分かれていて、前半が常設展で、後半がイベント用の部屋となっているようで、今回の天空展は後半の部屋で開催されていました。県天メンバーが撮影した写真が壁にたくさん飾られています。彗星の写真に、星景写真、星雲などです。
この中には、前会長が撮影した写真と、さらに前々会長が撮影した写真が展示されていました。お二人とも故人なのですが、ご家族の方がいらしていて少しお話しすることができました。私が星を始めてすぐのころに、地元の星見場所の牛岳というところで前会長に誘われて県天に入会しました。それがあって今ここにいるので、ご家族にも感謝とお礼を伝えることができました。前会長は晴れていれば必ず星見に出るような人で、家族にそのことを聞いたら、やはり全く同じ認識だったようです。博物館方の方に頂いた石黒信由の解説本の中に、西村太沖という天文学者が出てきて、加賀藩の天文学の講師の仕事をほったらかして故郷の城端(じょうはな)に帰って、自宅の屋上に天文台を作って毎晩天体観測をしていた人の話が出ていたのですが、江戸時代でも現代でも、好きなことにのめり込む人はいつの時代でも一緒だと、少し前会長と重ねてしまいました。
この「天空展」にはニュートリノ検出や重力波検出の展示も少しあり、近辺にある研究施設の地元で展示解説という位置付けなのかと思います。
今回の写真展のテーマは「面白い名前の天体」と聞いていたので、私は「イルカ星雲」と「スパゲティ星雲」を提供しました。写真的には他にも候補はあったのですが、今回はホントに名前だけで選びました。
そうそう、この日は珍しく妻が一緒についてきて、普段あまり星に興味がないのに、講演も、その後の天体部屋の解説も面白そうに聞いていました。写真展では、私のスパゲティ星雲を見た時「心臓みたい」と呟いてました。なるほど、赤が動脈で青が静脈と考えると、形から言ってもスパゲティというよりはリアルな心臓に近いと私も妙に納得しました。ハート星雲の名前はこのSh2-240に譲るべきかもしれません。いや、ハートと言うとハートマークの印象の方が強いので、Heart星雲か、ズバリで心臓星雲でしょうか。
その後、妻は第2展示室の和算も面白いと言っていました。少なくとも妻が理系人間でないのは知っているので、何が面白いと思ったのかは私には理解できなかったのですが、理系に限らず文系寄りの人にも面白いと思える何かがあって、それが伝わるのかもしれません。
観光地射水・新湊
この新湊博物館は「カモンパーク新湊」という道の駅の一角にあります。ここのフードエリアの脇にあるファストフードカウンターの「白エビバーガー」が名物で、今時500円という良心的な値段です。他にも白エビを使った蕎麦や丼ものが、地元の人が普通に食べられる値段で提供されています。
博物館の見学が終わってから、この日も白エビバーガーを食べようと販売機の前に並んだのですが、何と私の一人前の人で最後で売り切れ。それ以降気分が乗らなかったので普通のカツ丼を食べたのですが、これも普通盛りでも十分な量があり、何と650円。
他にも、「かけ中」という名前で広まっている、うどんダシに中華麺(ラーメン)という組み合わせが、ここ射水・新湊地域のソウルフードらしくて、それを味わうこともできるとのことです。
道の駅からさらに足を伸ばして海の方まで行くと、海王丸バークという公園があり、帆船の中を見学することができます。帆船といってもかなり大型の船で、子供なんかは大喜びだと思います。パーク内にはラジコン用のサーキットがあり、休日などはラジコンマニアが走らせに来ていて、それを見ているのも結構面白いです。天文の前の趣味がラジコンで、私もこのサーキットにたまに走らせに来ていました。
天気のいい日なら、新湊大橋を渡ると立山が大迫力で見えるかもしれません。
惜しむらくは、車が無いといくつかの場所を回るのが辛いところでしょうか。これは富山観光の欠点の一つで、観光で来る場合はレンタカーを借りるか、富山近辺の知り合いをつかまえて車を出してもらうといいかと思います。
富山の人は是非とも新湊博物館に訪れてみてください。博物館のスタッフの方が「白エビバーガーが有名なので食べに来てくれるけど、その奥まではなかなか来てくれない」と嘆いていました。というか、富山在住で理科系が好きな方は、一度は行ってみてください。特に2部屋目の和算の部屋は、こんな人がいたから今の富山があるんだと、感動すること間違いなしです。
博物館の見学が終わってから、この日も白エビバーガーを食べようと販売機の前に並んだのですが、何と私の一人前の人で最後で売り切れ。それ以降気分が乗らなかったので普通のカツ丼を食べたのですが、これも普通盛りでも十分な量があり、何と650円。
他にも、「かけ中」という名前で広まっている、うどんダシに中華麺(ラーメン)という組み合わせが、ここ射水・新湊地域のソウルフードらしくて、それを味わうこともできるとのことです。
道の駅からさらに足を伸ばして海の方まで行くと、海王丸バークという公園があり、帆船の中を見学することができます。帆船といってもかなり大型の船で、子供なんかは大喜びだと思います。パーク内にはラジコン用のサーキットがあり、休日などはラジコンマニアが走らせに来ていて、それを見ているのも結構面白いです。天文の前の趣味がラジコンで、私もこのサーキットにたまに走らせに来ていました。
天気のいい日なら、新湊大橋を渡ると立山が大迫力で見えるかもしれません。
惜しむらくは、車が無いといくつかの場所を回るのが辛いところでしょうか。これは富山観光の欠点の一つで、観光で来る場合はレンタカーを借りるか、富山近辺の知り合いをつかまえて車を出してもらうといいかと思います。
富山の人は是非とも新湊博物館に訪れてみてください。博物館のスタッフの方が「白エビバーガーが有名なので食べに来てくれるけど、その奥まではなかなか来てくれない」と嘆いていました。というか、富山在住で理科系が好きな方は、一度は行ってみてください。特に2部屋目の和算の部屋は、こんな人がいたから今の富山があるんだと、感動すること間違いなしです。