前回の記事から大分時間が空きましたが、久しぶりに天文ガイドバックナンバーの読み込み記事です。

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今回は1992年1月号から12月号の一年分ですが、今回一番思ったことがワクワク感がだんだんなくなって来たことです。 なぜだか理由ははっきりしています。この時代の広告の商品が今のラインナップともう大きく変わらないからです。もう御三家の広告もとっくになくなってしまいました。シュミカセもMEADE、Celestron共に普通に一般的になっています。値段もかなりこなれています。

もっと根本的に言うと、光学系に関してはほぼ民生の技術が確立して来た感があります。赤道儀に関しもVixenのSPから8年ぶりにバージョンアップしたGP(Grate Polaris)がこの年の5月21日に手頃な値段で出ていますし、8月号ではGPの特集が組まれています。自動導入もSKYSENSORが3にまでなっていて相当一般的になったことがわかります。特にSKYSENSORはコンセプト、方向性、メーカーの姿勢など、今見ても革新的だったことがわかります。SKYSENSORについては一度別個の記事でまとめて見たいと思っています。今も普通に使っている技術が一般的に浸透して来たのがこの頃のようです。

むしろCCDやパソコンの方がこの頃から比べて現在の技術が発達しすぎているので、隔世の感があります。例えば、8月号に初期の冷却CCDのST-4の解説が載っています。X68000(なつかしい)での画像処理だそうです。同号のカラーページにはST-4の画像例も載っています。その当時の天文マニアの最高技術だと思いますが、今の電視でのリアルタイム観望くらいの画質と比較できるくらいでしょうか。時間をかけて処理していたものが今ではリアルタイムと、やはり技術の進歩はすごいですね。なお、12月号には早速ST-6の記事も載っています。また、9月号に初のステライメージの宣伝が載っています。今のアストロアーツではなくアスキーからです。マルチメディアという言葉が流行った頃かと思います。

一方で、今ではほぼ完全に廃れてしまった、フィルム時代の吸引や増感の記事がいくつかあります。やって見たかったと思う反面、正直今のデジタル一眼の時代で楽になったのはよかったとも思えてしまいます。

特集記事などです。
  • 8月号にNifty ServeのSPACE FORUMのオフラインミーティングの特集が組まれていました。やっとこの頃マニア同士のネットでの情報交換ができ始めてきた時期です。だんだん情報が雑誌オンリーからネットに変わっていく変わり目の時代です。ただし、パソコン通信の時代の幕開けであり、まだまだインターネットは全く一般的ではありません。でもいつの時代でもマニアはやっぱりマニアですね。
  • 1月号のカノープス北限記録は昨年に引き続きまた失敗に終わっていましたが、こう言った記事は後から読んでも十分楽しめます。昨年は岩手県栗駒山で雲に覆われ失敗、この年は秋田県須川温泉ですが、やはり雲で失敗。失敗なのですが、何かやって見たいという挑戦心が刺激されます。
  • 11月号には手作りの分解能測定装置の記事がありました。92年のスターライトフェスティバルでお披露目されたそうです。手軽に分解能を測定できる環境はちょっと羨ましいです。最近の興味は惑星撮影での動画をスタックする技術での分解能です。スタックした時の分解能の理論的な限界を知りたいですが、どこかにないでしょうか?自分で計算するしかないかな?それを実測で試すのも面白そうです。
  • 1月号で投稿写真に対するスタッフの批評コーナーが終了し、入選者の声に変わっています。いつかここに私が知っている人も掲載されているのではと今から楽しみです。

このブログの以前の天文ガイドの紹介記事のコメントコーナーでも面白かったと感想があった、赤瀬川原平さんのコラムですが、やはり面白いです。
  • 3月号で「ついにタカハシを買う」という記事が載っています。経緯はどうあれ、最初にタカハシを買うという一大イベントは全ての天文ファンに共通なのではないでしょうか。記事も書いてある通り、雑誌の中にそれらしき記事や写真が出てくると穴のあくほど見つめ、その僅かなニュアンスから信頼度を必死に探る。「天体望遠鏡の全て」なんて別冊が出ると、全ページ舐めるように見尽くす。赤瀬川さんは高橋製作所まで乗り込んで言ったそうです。ちなみに私の場合は最初のタカハシ(といってもまだ一本しかないですが)は福島のスターライトフェスティバルで落とした、工場に眠っていたと言うFS-60Qのアニバーサリーモデルのデモ機でした。
  • 8月号では「星派」か「メカ派」かを議論しています。赤瀬川さんは機械派だそうです。私も冷静に考えると機械派だと思います。星の写真を撮るにしても何か工夫してその成果を試したいと言うのが根幹にあるのです。ちなみにこの記事によると星派は政治的人間で自分の天文台を持ったり裕福なイメージみたいですが、メカ派はヘンタイだそうです。

モリマサユキ氏の「おもちゃの星座箱」です。
  • ケンタウルス座の紹介記事が印象的でした。「あの地平線を越えればケンタウルスの全ての姿を見られるのだろうか?その心意気は時を超え今日まで受け継がれています。ボストークとなり、アポロとなり、ボイジャーとなったのです。」とありますが、星好きな人が宇宙の深淵を望遠鏡で覗くのも同じ思いなのではないでしょうか。少なくとも私は同じです。いろいろ挑戦していきたいです。
  • この連載も6月号で終わり、7月号からは森雅之氏(なぜか漢字に)の「口笛の科学」という4コマ漫画になります。こちらも示唆に富んだ漫画で面白いです。


読者の投稿コーナーは相変わらず面白い投稿が溢れているので、バックナンバーといえども欠かさず読みます。
  • 3月号で「星見に命をかけたボク」という14歳の子の投稿があるですが、屋根で星を見ていて夜露で滑って地面に後頭部を強打、3日間眠りっぱなしで左目失明という記事がありました。奇しくも最近子供が屋根に登って星を見出したので、この記事を見てやめさせることにしました。でもこの投稿の本当の論点は、その時に双眼鏡の光軸が狂ってしまったことと、さらにカメラを踏んづけて壊してしまったので、誰かカメラ譲ってくださいと言うことでした。編集でもシャレにならないとの感想でしたが、いろんな意味で本当にシャレになりません。
  • 5月号では女子高の流星観測会の様子が報告されていました。「金、金、金」はよくある話ですが、「男、男、男」だそうです。まあ、欲というのは男も女も、老いも若きも変わらないものですね。このあいだのイオン観望会で短冊飾をみんなに書いてもらったのですが、天文マニアの七夕の短冊は「おおきなぼうえんきょうがほしい」でした。
  • 6月号には「感心してしまうアメリカ製品」という投稿がありました。「とやかく言われるアメリカ製品ですが、発想の素晴らしさと低コストで仕上げる生産技術には、ミードやセレストロンの製品などを見るにつけ毎度敬服する次第です。」とあります。私も同感です。天文に限らずですが、日本は根性で精度を出し高価な値段をつけますが、アメリカは手を抜いてそこそこの精度を安価に出すのが得意ですね。民生品は後者の方が有利な気がしています。研究レベルで、定量的に評価して必要なところに精度を出していくのはアリだと思いますが、趣味という範疇ではいかに裾野を広げるかと言うことが重要なのかと思います。まあ、最近は中国製が多いのですが、これとて精度としては十分なものも多く、決して侮ることはできません。
  • 8月号にプラネタリウムでに双眼鏡を使った観測の投稿がありました。今では結構一般的な手法ですが、この頃に発案されたみたいです。
  • この年の話題の投稿は公共天文台のあり方です。2月号で都市部に作って、「一番口径が大きいと宣伝できることが最も大事だ」と市の職員に言われたと怒っている記事に、4月号で月をまたいで反応がありました。天文マニアのわがままではないかと言う意見です。公共天文台はいろいろな役割があります。安全も考えなくてはいけません。富山の天文台には時々手伝いに行きますが、職員さんの計らいもあり、市民と天文マニアのうまい橋渡し役になっているのかと思います。天文マニアにも一般の人に見せてあげることが好きな人もいれば嫌がる人もいます。好きな人は土曜日とかには天文台に自分の機材を持ち込んで、たくさん来るお客さんの対応を手伝う人もいます。ちなみに7月号に2月号で投稿した人からさらに投稿がありました。星好きの天文台職員がいて、みんなが星好きになってくれればという意見だそうで、いずれにせよみなさん星好きの裾野が広がることを願っていることには変わりないみたいです。

また長い記事になってしまいましたが、私にとっては昔の記事は経験不足を埋める数少ない手段の一つです。と同時に、技術の進化などは趣味としてもとても楽しみながら読むことができます。昔からの天文ファンの方にも、この頃のことを思い出すきっかけになれば嬉しく思います。また次の年の分も読んだら(実はもうとっくに読み終わってはいるのですが)まとめてみたいと思います。