木曜の夕方、先日記事を書いた自動導入の誤差補正のテストの準備をしていると、すぐ目の前に住む、同じ県天メンバーのKさんがやってきました。Kさんは天文歴50年の大ベテランの方で、昨年の夏に近所のお寺に子供達を集めて観望会をやられた方で、私が県天に入った5月ころからちょくちょく付き合いがあります。実は近所なので子供(Kさんから見たら孫)同士が仲がいいというのもありますが。

極軸合わせとか準備をしながら「最近昔の80年代の天文ガイドを手に入れたんですよ」とか話していたのですが、もしかしたらこのブログを読んでくれていたのかもしれませんが、なんと先日のコメントでHABさんから教えてもらい、読みたいと思っていた臨時増刊号を、土曜日の夜にわざわざ何冊か持ってきて貸して下さいました。

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1961年5月号臨時増刊の「イケヤ・セキ彗星写真集」1985年2月号臨時増刊の「STAR WATCHNG」、同じく1986年8月号臨時増刊の「ハレー彗星記念号」です。3冊ともすごく濃いです。

特に、1985年2月号臨時増刊は天体望遠鏡20年史という記事が35ページほどあり、1965年から1984年頃までの雑誌の内容がダイジェストになっていて、手に入れた80年代の本誌と比べることで、色々と楽しむことができました。さらにその記事の中にある東京天文台の富田氏による記事が、当時の裏事情なども含み、すごく興味深かったです。その中で、機器の評価記事についての記述がありました。前回のこのブログの記事で、機器の評価記事が少ないと書いてしまったのですが、どうやら創刊当時から1970年代までは相当の評価記事が載っていたようです。途中でその連載も無くなってしまい、80年代に入ってからはあまりさかんに評価記事が乗らなくなったのが、私が勘違いした原因のようです。評価記事を辞めた理由の一つに、「簡単なテストでは文句がつけられないくらい各社の望遠鏡の性能が良くなった」とありました。旧御三家の話でもあるように、おそらく今の時代からは想像ができないくらいの見えにくかった望遠鏡が存在していたのでしょう。それが短期間のうちに格段に性能が上がっていったという時代があったのだと思います。今の人たちはそういった時代のことは知らなくてもいいのでしょうが、それでも一度は見えなかった時代の望遠鏡を覗いてみたいと思うのはおかしいでしょうか?

ハレー彗星記念号は「いっちまったハレー彗星」で大笑いしました。ちょうどKさんから「ハレー彗星は小さかった」と聞いた直後でしたので、さらに面白かったです。私自身はその頃中学生でこの目では見ていないのですが、当時の流行の歌にもなぜかハレーというフレーズが随所に出たりで、随分と盛り上がっていた印象はあります。でも記事を見ると、「見たという安心感はあるけれど、あまり感激がなかった」というような内容で、一般の人が見た印象はやはりそんなもんだったのかということがよくわかりました。多分ですが、星雲と同じで、写真とアイピースでの観望は違いがありすぎるんですよね。実際、写真も雑誌に入選したのは数千枚のうちの100点満点で、120点ではまだダメで、たまたま200点を取ったごくわずかのみが載ったとのことでした。その写真と比べたら流石に眼視では辛いと思います。それでもあれだけ盛り上がったのは、マスメディアの力恐るべしといったところでしょうか。


さらに日曜日の夜、家族での外食から帰ってきたら玄関に今度は星の手帳の80年から82年のものが9冊置いてありました。またKさんだとすぐにわかりました。私も星の手帳は1冊だけもっていますが、随分と研究志向の強い雑誌というのが印象です。こちらもまたじっくり読まさせていただきます。

Kさんどうもありがとうございました。