オークションで手に入れた1980年代の天文ガイド60冊を一気に読み続けているのですが (その1) (その2)、一番面白いのは「どくしゃサロン」というお便りコーナーです。今見るととても興味深いので紹介します。1982年5月号の投稿で、ほぼ原文そのままです。

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来、天文界が電子化すると...。まずアイピースの代わりにCCD(電荷結合素子といって、光を電気信号にかえる半導体)をつける。CCDによりCRT(ブラウン管TV)に写し出され、多勢で観測ができる。また、写真よりも解像度さえ高くなれば、野や山でも簡単にハードコピーがとれる。さらにインターフェースを介して光ファイバーによるキャプテンシステム、あるいは無線を通し、どこへでも同時に送画できる。そのため、各地の天文台は週末になると、アマチュア天文家にCRTによる天体観測サービス業務を開始する。また、都会の天文家で、週末に郊外の観測所に出かけていた人たちは、毎日自宅でマニュピュレーターで、遠隔操作で観測ができるようになる。
 天体望遠鏡は、音声で星座名を入力すると、内臓のマイコンが計算して、自動的に視野の中へ入れてくれる、慣性航行装置を応用したデバイスも組み込まれているので、極軸合わせも不要。もちろん公転、自転も自動追尾。おまけに音声合成装置もあるため、機械のブンザイで生意気なことを言うんです。”ネェ、天体観測しようよ〜”」(赤字は私が入れました。けっこう死語に近いですが、意味は何となくわかると思います。)

東京都の19歳の男性からのお便りですが、未来予測の的中率が凄すぎです。驚くべきことに、35年前それこそ夢の技術だったことが、ほぼ完全に実現されています。しかも個人レベルでできてしまっています。
  • CCDは本当に動画でその当時の写真撮影性能に迫る性能が出始めている。
  • CRTはスマホやタブレットで持ち歩きさえできる。
  • ハードコピーにいたっては印刷する必要さえなくなってきている。
  • 光ファイバーによるキャプテンシステム(流石に今の人は知らないか)はインターネットとWeb。
  • 無線は携帯やWi-Fiなど。
  • マニュピュレーターは今まさに取り組んでいるリモートでの操作
  • マイコンが計算して自動的に視野の中へ、赤道儀単体の自動導入でさえも当然入れてくれます。
  • 慣性航行装置を応用したデバイスは電子極望でしょうか?完全自動化とまではいきませんが、かなり楽です。
  • 音声合成装置も特別なデバイス無しで普通のコンピュータがしゃべります。Siriなんかももっと気の利いたこと言ってくれます。
鉄腕アトムは実現出ませんでしたし、Back to the Futureのホバーボードは大企業が総力を挙げてかなりの制限付きでやっと一台実現できたくらいですが、天文に関しては、今、我々は夢の未来の国に生きているんです!



もう一通紹介します。同じく1982年5月号です。60冊近く読んでこの号の2通が一番面白かったです。

人になったら、ドームの中で望遠鏡を操作する天文学者になりたいという夢を持っていました。その頃の星空の美しさは、今とは比較にならないほど多くの星が宝石のように輝いていました。やがて6cmの望遠鏡を買って、ガイドブックをたよりに探した天体に感激したものでした。子供の頃の記憶では、闇と思われる夜、6cmではどんなに目を凝らしても見えなかった天体が、やがて15cmになると簡単によりすばらしい世界が広がったことにまた感激。
 一通りの天体を見てしまい、幻滅する明るい空と、美化された記憶との差で天体というものに興味がうすれかかった時、XX星の会の会員として、市内の児童会館の15cm望遠鏡の定例の一般公開に参加して、新しい人生を発見しました。観測派パワーで、教える立場になり、天文学者とまではいきませんが、15cm屈折を操作できるようになったのです。昔、星を見た時の感動を明るい夜空で今の子供たちに、どの天体はどのように見える伝えるか只今計画中。」
群馬県、XXXX、


















二十一歳。


えっ、てっきり定年を迎えられたような60歳くらいの方の文章かと思いました。当時の人たちむちゃくちゃ若いです。30代は年寄り扱いのような雰囲気です。でもこの方も今は56歳のはず。今の2017年にこの文章が出てきたらすごく納得できるのかもしれません。


とにかく、読者投稿は当時の若い人たちの熱気が伝わってくるような文書ばかりです。いまはインターネットがあるので、blogやSNSやなどコミュニュケーションを取る手段はたくさんあるのですが、当時の、機材もまだまだ不十分で、未来に夢があった時代の、あの熱い雰囲気はその時にしか味わえないものなのでしょう。私も若い頃に星の世界に突っ込んでいたかったです。


他にも広告を見ていると面白いことがわかります。

赤道儀が単体で販売されるようになったのは意外に後の方で、それまでは基本的には鏡筒とセット販売が主流だったようです。それに気づいたのは1986年当時の号を読んでいた時で、例えばタカハシのFC-100でTS-90仕様とか、EM-1仕様とか、同じ機種で違う赤道儀にできるくらいで、それでもまだセット販売が基本のようです。もちろんその前からも赤道儀単体の販売もあったようですが、主流はあくまでセット販売のようです。何故こんなことを思ったかというと、1985年のVixenのマイコン・スカイセンサー2型をつかったマイコン付き赤道儀セットの広告を見たときで、そこの謳い文句に「万能プレート仕様で、他社鏡筒にも対応。」と出ていたからです。この当時でやっと赤道儀の汎用性やクランプ規格の共通化を模索し出したということでしょうか。ちょっと調べてみたのですが、いまのアリガタアリミゾが出たのがどれくらいの時期なかよくわかりませんでした。少なくともまだこの時は万能プレートと言っているだけなので、まだアリガタアリミゾではないと思います。コンピュータと同じで、規格の統一という歴史がこの分野でもあったのだと思わされました。


あと、意外なことに新製品のレポートのようなものが雑誌の記事としてはほとんどありません。広告を見て初めてわかるような感じです。よっぽど人気の出そうなものは少し記事がありますが、新製品のあまりのラッシュで紹介記事を書くのが難しいような印象を受けました。(追記: 後日臨時増刊を読んで、もう少し前の70年代までは製品レポートが熱心に連載されていたとわかりました。)

60冊あったのもあと残り僅か数冊。80年代後半はかなり飛び飛びなので、また機会があったら抜けている号も手に入れたいです。コメントで教えてもらった臨時増刊号も面白そうなので、いつか読んでみたいです。(追記: 20174/15の土曜日、星を見ていたら近所のKさんが早速貸してくれました。Kさんどうもありがとうございました。)